昨夜連詩に参加して
佐々宝砂

昨夜連詩に参加して、私は不意に気がついた。私は七五で暮らせると。七五でしゃべっていられると。気がついたらばおしまいだ。浮かぶ文章みな七五。それでこの文、ごらんのとおり、ずっと七五で書いている。続けることは簡単だ、難しいのはテーマの方だ。七五で文をつなげれば、ただそれだけで詩になると、そんなことなぞないはずで、ならばこの文この七五、いったいこれは何なのか。散文なのか韻文か、はたまたただの垂れ流し?

七五はひとつの型なので、型を覚えりゃ簡単に、続けてられるいつまでも。そもそも昔のひとたちは、語りものとて七五調、歌舞伎浄瑠璃義太夫と、みんな七五で唄ったものだ。七五で唄うは楽なもの、難しいのは七五から自由になって唄うこと。七五の呪縛を払おうと、必死になってはみるものの、批評だろうと詩だろうと、そこに言葉がある限り、私の頭脳は七五を好み、七五の枠から離れない。どう足掻いても離れない。

日本語リズムの新鋭は、村上春樹の文と言う。それは確かにリズミカル、しかし七五じゃないそうだ。私は春樹の本を買い、それを音読してみたが、なんだかリズムがわからない。私の調べは七五調、それを崩さにゃリズムに乗れぬ。村上春樹のリズムに乗れぬ。

それはわかっちゃいるけれど、私を縛るこの七五、なかなか崩れてはくれぬ。崩せないからやけっぱち、こんな文章書いてみた。誰か私を助けてよ、七五七五の呪縛から、七五七五の魔物から。ああそうなのだ、そうなのだ。七五は魔物、魔性のもの。

魔性を手繰り魅入られて、魔に操られ魔と化して。七五の闇にたたずんで、あなたを誘うこの私、七五の手先である私。


散文(批評随筆小説等) 昨夜連詩に参加して Copyright 佐々宝砂 2004-03-15 01:50:41
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