俳句の非ジョーシキ具体例
佐々宝砂

遺書にして艶文、王位継承その他無し (加藤郁乎)

どこが俳句なんだと悩まないように。作者が俳句と言やそれは間違いなく俳句なのだ。加藤郁乎は、この手のすごい俳句をものす私の大好きな俳人の一人。彼の俳句のなかでも私のいちばんのお気に入りが上に引用したやつ。すんばらしく非ジョーシキな俳句でしょ?

「王位継承」などとゆーものが遺書に期待されてるからには、この遺書の書き手は王族、たぶん王そのひと。で、その王が死んで、まわりの王族やら家来やらがよってたかって王の遺書をひらく、と、そこには「王位継承その他無し」で「艶文」があるだけ。「恋文」ではなく「艶文」なので、その内容はきっとどぎつい。王が遺書に書き残しておきたかったこと、つまり王にとっていちばん大事なことというのが、世間並みの大事なことである「王位継承」なんかではなく「艶文」だったってこと、これはかなり非ジョーシキ度が高い。常識的な連中は眉をひそめるだろう。

外面貞淑だが実はご乱行ばかりという女王や、女と金のことしか考えてない馬鹿王子とか、王位継承をひそかに狙ってるその弟とか、王族はアホばかりだがなるべく操縦しやすいアホが王になるといいなと思ってる家臣だとか、そういう連中が期待に充ちて「艶文」を開いたときのその顔! 想像するとおかしい。王もあの世で吹き出しそう。あるいは超然と彼等を見ているかな。王は正直にして、自分に素直である。王位継承とか遺産とかどうでもいいことはどうでもよくて、どうでもいいから一言も書かない。潔いなあ。見習いたいなあ。と私は思うのであった。


散文(批評随筆小説等) 俳句の非ジョーシキ具体例 Copyright 佐々宝砂 2004-03-13 01:06:20
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俳句の非ジョーシキ(トンデモ俳句入門)