リラの咲く頃
クリ

札幌では桜で花見と考える人は多分こっち生まれの人で多くの人にとっては満開のライラックが「心の花」でありこっちに来てしまった人はライラックを見つける度にそれを喜んでそれが段々思い入れが増していくとある日いつの間にか人は初めて自分がもう若くはないことを思い知らされるのだがそれでもまだ「リラの咲くころ」に始まった幼い恋のことを握れなかった手と触れられなかった唇の持ち主の少女の表情を今でもまだオバサンになっていないかのごとくイメージできるし気紛れにライラックの花びらの香りなどを嗅いでみるとまだまだときどき会社の近くのランチ屋で見かける淋しげな子とひょっとしたら「いけない関係」になったりして…とそんな妄想を抱いたりもできるのだが心の底のほうでは「リラの咲くころ」は常に過去であったし過去でありつづけることは充分に理解しているしそれが非常に悲しいというわけでもなくまるで「動悸」くらいに心臓がかすかに痛むだけなのだがライラックの葉はちょうどそんな心臓の形をしていてだから「カンフルだ」とでも言わんばかりの気合いを込めた人差し指でその心臓型をデコピンの要領で弾いてみたりはするものの自分自身への「愛の鞭」としてのデコピンなのであり初恋の少女と淋しげなランチっ娘に対するのと同じようにどうしようもない社長へも愛情を注ぐべきでありちゃんとゴミの分別をしないマンションの住人にも等しく優しくしなければいけないのだと強く強く言い聞かせひょっとしたら本当はいいところもあるかもしれないし馬鹿は馬鹿なりに必死に平和を望んでいるかも知れないと希求しランチっ娘も「タモリ倶楽部」が大好きかもしれないし自分も実は結構イケてるロマンス・グレーの類かもしれないと禿げてないだけマシかと強く強く言い聞かせライラックが咲いていることに気づくのと気づかないのではこんなにも人生は変わってしまうのだよと呟いては半分それもめっちゃジジ臭いと思える若さも残っていて
Thanks To : いとう さん

                                             Kuri, Kipple : 2002.04.20


自由詩 リラの咲く頃 Copyright クリ 2004-02-18 03:04:42
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