カタギリさんを探して2 クリ編
クリ

さて、僕はカタギリさんに会ってみたいかというと、会いたくない。何かとてつもなく恐ろしいことが起こる気がする。
もしカタギリさんが僕と同じくひどく美形であったり、知性豊かな人格者であったとしても、だ。
決して会いたくは…。ん?
そういう傲りたかぶった奴にこそ会いたくない、だって? ふん、嫉妬だね。
本当はカタギリさんと会って、よく話し合い、仲良くなったほうがいいことは、知っている。
カタギリさんだって、今ごろ僕のことを聞いて、ものすごく気になっているだろうから。

前に書いた連作詩『ウィリアム・ウィルソンの肖像』は、もちろんポーの小説から取ったタイトルと内容。
人間のクローンは世間一般が無批判に嫌悪する。それが僕には理解できなくて、どうして禁止したがるんだろう、
そう考えていって出来た詩。
悪用されるおそれはある。しかし危険だからといって銃どころかナイフや包丁、ロープやバールまで禁止していったら、
もうきりがないのだ。人がクローンを禁止しようとする理由はもっと根源にあると思ったのだ。
子供のころはドッペルゲンガーが恐かった。大人になると自分と向き合うことを無意識に恐怖する。
欧米人にはフランケンシュタイン・コンプレックスが根強くある。
恐怖はどこか外からやってくる、異形の、ストレンジな、ストレンジャーでなくては「ならない」のだ。
日本にも差別政治や狐憑きというものにそれがある。「悪いものは自分たちではない」のだ。
けれどそれがもし、自分と同じ姿形だったら人はどうするだろう。
多分、存在のベースを失うのだと思う。自分が自分であることに確信が持てなくなるのだろう。
ゲシュタルト崩壊というやつだ。だから人はそれを抹殺しようとする。

抹殺せずに放っておくと、カタギリさんは大量破壊兵器を作り、僕は世間体省みず攻撃するだろう。
そして…。
その後はもちろん、たとえば「ハギワラさん」をでっち上げるのだ。

BGV 「デブラ・ウィンガーを探して」
枕頭の書 椎名誠「胃袋を買いに」アンデルセン「影」
BGM トーマス・ドルビー「ミラー・ソング」 ラヴェル「鏡」

                                           Kuri, Kipple : 2004.02.15


散文(批評随筆小説等) カタギリさんを探して2 クリ編 Copyright クリ 2004-02-15 00:45:46
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