壁を見ていた
クリ








僕は壁を見ていた
見ていたのは漆喰のくすんだ壁で、成層圏まで達するにはもう少し
何も、落書きがあったわけじゃない
ただ壁のひび割れをなぞっていた


一度だけでもいい、会えたなら他のものはすべて捨てていい、と思っている人物が
僕の実家にふらりと来ていた
僕は、やせ我慢した
「俺は、そんなに安っぽい人間じゃない」と
そうして、見て見ぬふりをした 「あんたなんか、ほんとは眼中にないんだよ」と
そうするうちにいつの間にかその人はいなくなっていた
僕は焦った
まだその人が出てから3分も経っていない
追いかけよう、と思った
『後悔』する、と
僕は、上着を着替えた
僕は靴下を履き替えた
僕はトイレに行った
僕は財布と携帯を探した
僕は歯を磨いた
僕はテレビの天気予報を視た
僕は靴を選んだ
僕は郵便受けをチェックした


僕はやっと外に出た
でもパンツを穿いていなかった
コンドームは付けっぱなしだった
おまけにまだ朝飯を食べている最中で
中田大丸・ラケットの葬儀にぶつかりバスにも乗り遅れた
僕はその人に追いつけなかった
僕はその人を逃した
トボトボトボトボ帰る道すがら
その人の元配偶者が聞こえよがしに言った
「あの人は自分がいなかったら死ぬだろう」
僕はシェルドレイクの仮説とベルの定理を鼻歌で歌った




僕は壁を見ていた


                         Kuri, Kipple : 1999.11.20


自由詩 壁を見ていた Copyright クリ 2004-02-08 01:18:58
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