冬の庭にて—印象
前田ふむふむ

滴る水滴の先が、凍りつく地面のひだを叩く冬。――
冬のうずきは、過去を染める季節の色を、林立する寂しさで押し流すが、朝の庭では、気高いさつきの花が、薄いひかりのぬくもりを花弁に焼き付けている。
    
38・5℃の体温計が畳の上に無造作にころがり、
渇いた熱が私の喉の奥を締めつける。加湿器の蒸気が乾燥した部屋をうるおしている。硝子戸越しの縁がわから見える名もなきいのちがひとつ――、
    
死者の記憶がまぶしい鴉がとまる家の、あつい皮膚で梱包された巨樹の精は、弓のような顔を静かに持ちあげる。その枝に危なげに支えられている季節はずれのアゲハ蝶が、痩せた肉体を灰色の風にさしだしては、おとなしい太陽の足跡を辿りながら軒下の苔むした岩にうずくまる。アゲハ蝶をつつむ光の粒子は、乾燥した冷気を吸って、岩の心象を骸骨にする。アゲハ蝶は冬の熱狂のなかで、硬直する。――― 
青空に芽吹き始めた雲は、訪れない春に眠る種子を、白く凍りつくアゲハ蝶の死骸に解き放つかなしい虚構の試みか。おぼろげな輪郭を浮かべる、雲の下を羽ばたく、鳥たちの声が、夏の記憶を溶かした、液状の樹皮をなぞる。
    
熱いお粥を食べながら、私は冷たい手を電気ストーブで温めてみる。明るい陽射しが部屋中を這い回り、天井のすみは海のようだ。38・2℃の体温計を見て、少し苦しい。病んでいるわたしは、まるで今だけのためにあるようだ。過去は朦朧とした闇に消え去り、未来は思考することすら苦痛で遥か遠い、この今の苦しみだけが、この疲弊している今のわたしだけが、生きているわたしだ。
硝子戸越しの縁がわでは――、
    
時がざわめく昼の庭の指先に、弱々しいひかりが絡まりついて、孤独な剃刀のように景色を切断する。その裂け目に朝が、撫ぜられながら、落ちてゆく。裂け目は動き出して、縁がわで、揺れながら恍惚とする。――
未来を慕う胎動する季節ののどに、刃物を突きつける風のなかを、蒸気の油紙で蔽われるひかりの母が、空の上で寂しく傾いて、夜を飲み込んだときから、凡庸な姿で天上の橋を渡り、表情をわずかに赤らめて、幼子の顔が凍りつく墓場に、少しずつ丁寧に横たえてゆく。見慣れた指紋を浮き立たせて、行儀悪く立ち回る乙女のように、ひかる雲の吐息が太陽の頬を、やさしく撫ぜている。微かなあたたかさを足で手繰り寄せながら。
    
医者の処方した薬を飲み込みながら、
私は流れ落ちる涙を誰に伝えられようか。
早過ぎる夜が戸を叩いていく。夜は亡き人も見ているだろう月が寒さに耐えている。薄暗い部屋の中で
朦朧とした定かでない記憶が、苦しい疼きのために
十分な時を与えられずに、次々と脳裏を過ぎてゆく。
37.7℃ 立ってみて部屋の電気を点ける。
暗い庭が見えなくなるが、暗闇の奥ではすべてが呼吸している。――   
 
かこくな恵みに耐えている、健気な百日草が、熱を吸い取られて、造花に化粧して、細々しく呼吸している夜。夕暮れのひかりが、影の世界を呼び起こして、夥しいゆうれいが灰色の雲を背景に、最後の薄いひかりと共に死に絶える。家のなかの燃えている空間は、光の結界をつくり、燃え尽きると、夜ごと冬眠をする。窓の外がわの充満した闇を黒く塗りたくり、絵具が乾いた場所から、先に選んで、夜の懐に仕舞いこんでいる静寂の眼の子供たち。全て、乾き切れば、見開いた傷口に、黒い包帯をたんねんに巻こうとしている。滲んでくる明るい赤い血が見えなくなるまで。
そして、夜は完成の祝杯を上げる。――
そのすぐ前で、空気を凍らす訓練中の庭の闇の奥では、胎児の朝が、産気づく夜のなかで、分娩の準備をしている。春にまだ届かない梯子を用意して。
    
母が、氷枕をつくり、私の汗を拭く。38・1℃。
少し寝て、天井が落ちてくる夢を見た。
こうして眺めると自然の中で木のなかにいるようだ。
静かな夜の――、夜の庭のわずかな風のざわめきに
促されて、際立つ柱時計の音が、私の鼓動と共鳴している。
なぜか嬉しくなり、今、生きていると思う。


自由詩 冬の庭にて—印象 Copyright 前田ふむふむ 2006-03-06 18:55:25
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