3.詩の付加価値
いとう

 付加価値。
 経済学においては「商品の生産・流通の各段階において新しく生み出される価値」となるようです。この付加価値という概念はじつはとても広義で、一概にこういうものだとは言えません。グリコのおまけはお菓子の付加価値です。応募券を集めて賞品もらうってのも、商品の付加価値です。で、このくらいのはわかりやすいのね。けど、もっと抽象的な付加価値もあって、たとえば、日本人にとってイチローはメジャーリーグの付加価値です。逆に、メジャーリーグでプレイしていることはイチローにとって付加価値となります。


 少し話を変えましょう。
 「付加価値」という言葉は、かなり誤解されやすい言葉です。
 「マーケティング」という言葉と同じくらい誤解されやすい。

 以前どこかで書いた記憶があるのだけれど、「売れない商品をマーケティングでちょちょいと誤魔化して売りつける」なんてことは、不可能です。できません。というか、そんなことすれば商品寿命を縮めてしまいます。客はそれほど馬鹿じゃない。その商品の特性を見抜き、どういった層をターゲットとしてどのようにそれを提示すれば、その商品を最大限に訴求できるのか。そこにマーケティングの本質があります。
 付加価値も原則としては同じ。ただし、ある種の付加価値が付けば商品の質に関係なく売れます(笑)。客が商品ではなく付加価値を買うようになるから。商品と付加価値の商品力が逆転するから。

 遊戯王カードが大流行していた頃、ゲームボーイで遊戯王のゲームが発売されたんだけど、このゲーム、バカ売れしました。230万本くらい売れました。ちなみに他のビッグタイトルの平均は、ドラクエが400万本、ポケモンが300万本、ファイナルファンタジーが280万本くらい。んと、メーカーはこのゲームに、カードという付加価値を付けたんですね。ソフト1本につき遊戯王カードが1枚在中。しかも、バージョンが3種類。その結果何が起こったか。
 まず、1人でソフトを3本買う子供が多数出現。さらには、カードだけ入手して、買ったその場ですぐにソフトを中古として売る、なんて子供も多数出現。普通、大ヒットしたゲームの中古買取価格はかなり高額に設定されるんですが、このゲームは逆でした。買取価格がどんどん低くなる。中古として売らせないために。店が余剰在庫を持たないために。
 付加価値が持つこのような要素がデフォルメされて、誤解されていくんだろうと思ってます。

 詩に限った話ではなく、物を売りたいだけなら強力な付加価値を付けるのが手っ取り早いです。さっきのゲームみたいに、売りたいものが本来有している商品力と、付加価値が持つ商品力を逆転させてあげればいい。ただしその場合、商品寿命が短くなります。それだけでは商品そのものがいつか消滅してしまう。けれど、「だからそれはマズイやり方だ」と結論づけるのは短絡的なのね。方法論として問題があるのならこれほどまでに世の中に蔓延していません。この方法論の長所は、いっせいに多くの人の注目を集めることができることにあります。そのように商品を立ち上げることができる。そして、そういう動きを世の中では「ブーム」と言います。
 ブーム発生論というものがあるのかどうか知らないけれど、発生手法のひとつとして強力な付加価値を付属させるのは有効だと思ってる。問題はブームの後にあるのであって、ブームそのものに問題はない。ブームを通じて商品のどの側面をどのターゲットにどのように訴求していくのか、そのビジョンを持たずにブームが起きることが問題を発生させると思ってる。
 付加価値とは文字どおり「付け加える」ものであり、「製品の本質における商品力」ではなく、「製品の商品としての商品力」を向上させるものです。付加価値からのキックバックをどの程度得ようとするのか、そこを理解せずに付加価値だけで売ってしまうと、後々取り返しのつかないことになる可能性がある。一時期消費されてそれでおしまいというわけにはいきません。詩は。俺はそんなのイヤだ。
 リーディングシーンにおいて、リーディングがもっと発展するためにスターが欲しいという声をときどき聞きますが、これは、リーディングという商品に対してスターという付加価値が欲しいと言っているのと同義です。スターが生まれてもそれが一過性であるならばスターという付加価値は無駄になってしまう。スターの後のビジョンなしでは、短歌における俵万智、F1におけるセナをみるまでもなく、その市場は停滞してしまいます。


 俺自身は詩(poetry)の本質的商品力に疑問を持っていません。個々の詩作品(poem)の商品力については疑問を抱くものは多々ありますが。
 ある意味、詩(poem)が詩(poetry)の付加価値になり得ていないのかもしれない。詩(poem)のターゲットが詩(poetry)のターゲットとズレているのかもしれない。詩を流通させようとするのなら、何が何に対しての付加価値となっているのか、そして何を訴求したいのかを見極め、それを踏まえて、付加価値に何をさせるかを考える必要があります。
 みつをなり326なり夏生なり魚武なり、あるいはリーディングなりネット上の詩の文化なり、逆に、文芸としての詩なり現代詩なり、「そんなのは詩ではない」「あんなところには何もない」「つまらない受けない求められていない」と切って捨てるのは誰にだってできる。言うだけでいいんだから。そしてその気持ちも理解できる。それらはすべて「詩が好き」という感情から発せられているはずだから。でも、それぞれがそれぞれに対してどんな付加価値となっているのか、それらを通じて何を訴求できるのかを考えていくと、詩(poetry)全体にとって、とても幸福な方向が生まれてくると思っているのは俺だけなんだろうか。





散文(批評随筆小説等) 3.詩の付加価値 Copyright いとう 2005-12-19 14:07:50
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