空に星座を描くように
umineko

最近の自分の作品をざっと読み返してみると
(ああ、これは私信だなあ)って、思う。

それが特定の誰かだったり、特定でない誰かだったり
あるいは過去や未来、さらには
時制を持たない自分だったりするのだが。

これは日記と同義ではないのか?といわれるとちょっと困ってしまうのだが
その現実味や虚構性には実はあまり興味がない。

瞬間の積み重ねであって、たとえば駅のホームまでの階段をどちらの足から
踏み出すのか、ということを論じても仕方がないのだから。

(いつかお会いできたらいいですね)って、私信をいただいたことがある。
こっちは本物の私信。

それは自分にとって最大の褒めことばだ。

この国だけで数千万というユーザーがネット上にアクセスしているはず。
自由詩、なんて、趣味人口はこれっぽちしかないわけでしょう?
なにをするわけでもない、ただテキストを送信しているだけで。

ネットを通じて知り合い、共に命を絶つという出来事が、もはやベタ記事の
扱いになった。
ネットだけじゃない、リアルだって、どんな距離をとればいいのか、
もはやわからない世界になった、だれを信じるとか何を求めるとか。

自分は、自分に関するこじんまりとしたできごとを
こうして書き綴っていくだろう、
ポイントがつけばうれしいし、カウンターが回るとほっとする。

それはほんのささいな応援というか表明というか、
たぶん野良猫の頭をなでてあげるのとよく似ているそれくらいの意味で
しかし確かに豊かにするのだそれにかかわった人それを目にした人すべてすべて。

豊かに出来ない行為は敗北。

前向きな人も。そうでない人も。
とおいあなたも。すぐそばの君も。

空に結ぶ星座の偶然。
そんなふうに。

世界をことばで結べたら。

いいのに。
 



散文(批評随筆小説等) 空に星座を描くように Copyright umineko 2005-06-22 04:49:51
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