ぼくの受難
百(ももと読みます)


 生きることをまるごとやめられるセカイって、どこにもないね。イブからはじまる命の連鎖で誰だって繋がっていられるから。



 うむ、うまない、しんだ、生きた、健康と戦争、いろいろなことでわかつできるものはないから。



 たとい、ぼくが気ままになくなっても、きみが生きていてくれると、それでいいなって。それでも、きみがお友だちだったら、どんなにこころ強いことだろう。本当はつらい。ぼくがつらい。きみもつらいの?



 わからない、わからないのだ。どうして、どんな場所でも、ぼくの「ばか」がばれてしまうのか。きょうも傷ついたんだ。



 きみへとよりかかってはだめだ、しっかりと、しっかりとって、ぼくは地べたで息している。それでも、大空を見上げられるセカイがすきで。いつか、青空のしたで安楽死することがゆめだから、ぼくは大団円のためにも生きるんだっ。



 きみとオランダやイギリスにゆけたら、どんなにいいだろう。あゝ泣いてしまいそうだよっ。ぼくの不器用さが自分でも不気味だよ。



 どうしても、きみのチカラが必要だ。立派にならないと。立派になって、きみと一緒に海までゆきたい。ぼくがますらをなら、どんなにきみが倖せだろう!

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 ウェクスラー式知能検査の結果について、事業所での体験利用のおしまいにスタッフさまよりお尋ねされました。



 言語理解はグレーゾーンで、知覚推理は120で、平均知能ですって応えながら、むねの奥から生まれてくるものがありました。



 お医者さまはお優しいから、ぼくの病名をスペクトラムとなされました。曖昧な指示や暗黙の了解への無理解として、社会へと変換される言語への能力の不足分は他者とのへだたりを埋めることの困難さにも気づかぬほどの鈍感力をぼくへと埋めこんでいます。



 どこまでゆけるかわかりません。ひとは大変丈夫です。コミュニケーションの不足分がいたいたしいほどの個性をぼくへと刻みこむようです。



 障がい者の事業所、不採用でした。リテラシーの不足と働くためのブランクが、どうしても埋められそうにないのです。ま、負けません。つ、次はマクドナルドでのアルバイトをめざしています。



 障がい者として生きることに満たされないぼくの障がいは自分だったのだろうかと、自分も障がいも失ったセカイになにがあるのだろうかと。



 ばんってねじが弾けて飛んでいったあとに、ぼくはおぎゃーって泣いたのかな.「自分」それが、ぼくの受難です。


散文(批評随筆小説等) ぼくの受難 Copyright 百(ももと読みます) 2025-11-28 21:00:29
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