あいつとわたし その3
佐々宝砂

あいつは普通の人間なのだと、地上でごく当たり前に生きているひとりの男なのだと、そしてあいつとの交渉はつまりセックスに過ぎないのだと、そういうことにしてしまいたい誘惑に駆られる。そうしてしまえば、これら一連の詩の内容が、非常にわかりやすいものになりうるからだ。だがわたしはそのように書きたくはない。ベッドの上でのたうつ肉体についての発言をわたしは不得意とするがそれが理由ではない。その手の交渉をわたしはやれないことはないしやらないとは言わないし実を言えばやりたくないわけでもないが、あいつはそうした交渉の相手ではない。またあいつはそれ自体の象徴ですらない。ではあいつはなにものかと問われてもわたしには答えられないが、現時点で、あいつはわたしのなかにいる。何度か書いたようにあいつは生物ではない、生物ではないがあいつはときとしてあまりにも生物的にわたしのなかで蠢く。そう、まさに「蠢く」という漢字の通りに、春の虫みたいに。土のなかからでてきたばかりの、春先のみみずみたいに。耐え難い、とわたしは一瞬思うけれども、もちろん耐えることはできる。耐えられるに決まっている。演技として必要性がない場合、お願いやめてなんて台詞をわたしが吐くわけないだろう。わたしは他人に嘘をつくのが好きだ、けれど、自分に嘘をつくのは嫌いだ。あいつはいま確かにわたしのなかで動き、耐えられるといってもせつないのでわたしの息は荒くなる。それは嘘じゃない、この手の交渉をわたしはやれないことはないしやらないとは言わないし実を言えばやりたくないわけでもないが、あいつはそうした交渉の相手ではない。またあいつはそれ自体の象徴ですらない。それは、たぶん、嘘ではない。真実でもないけれど。







自由詩 あいつとわたし その3 Copyright 佐々宝砂 2003-12-02 03:37:58
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