桃色哲学
鏡文志
蜘蛛が巣を作る技術は、とても芸術的である。
虫や動物には人間のように動きに無駄がない。昆虫や動物より人間は劣っているのだろうか?
しかし、人間にはその数多ある無駄の中を生きながらきちんと自分で自分のしたことに、自分で責任を持ち、尻の穴を自分で拭く能力がある。人生を生きることはその責任の中を生きることであり、主体性と自立心ある限り、人はどんな昆虫や動物にも負けず劣らず、優れた存在として生物界の頂点にあり続けるであろうか?
イルカや猿が人間と会話が出来るようになった時、その橋渡しは双方にとって幸せなのか?
人は何故生まれこの世界はなんであって、なんのために我々は生きているのでしょうか?
桃色哲学は、今日も桜色。花びらのように華やかに彩り飾り散らしながら愛想を振り撒き、言霊のように空気の中を漂う。
人生とは、困難なことである。
生きていることは苦しいことに、間違いない。
人はこの世に生を受けた以上、美しく生きるべきである。
人生は美しい。世界は愛に溢れ、いつ如何なる困難があったとしても我々は決してへこたれない。
桃色哲学は、時に棘のある薔薇色。断言を通しながら人を威嚇し、充分な距離と気品を保ち続ける。
ダイヤのように燦然と光り輝く価値と、それを得るための折れないハートが欲しい。
ありとあらゆる実験と考察を重ね、それを深めながらその結果を提出し続けたい。
しっかりと、やりたい。しっぽりと抜きたい。
皆のため民のため、世の人々のため、善良で毛高き人間でありたい。
桃色哲学は、いつも人生色々。四季折々の色を重ねながら、欲求と不満だらけの日常を生きる。
ただただ雨だけがドアの外で降っております。
心の闇深く、嘘と騙しで汚れだらけの罠に満ちた道を、歩きます。
音楽は流れながらも人々の耳に入らず、心地よさと丁度良さを演出しながら、音階も音程もバラバラなままに、ダムの底へと運ばれます。
完全なる調和と均質化された人生。両極端を重ねながら、正義なき日常を過ごします。
桃色哲学は褪せて了えば、白と黒灰色。骨と肉と皮。痩せた体飢えた心で、ただ我が人生の春を待つ。