EVER BELIEVE IN
TAT










































































初めてミッシェルを聴いたのは















確か関東のどっかのタワレコの視聴機で

























「スモーキンビリー」に魂を持ってかれたのをよく覚えてる


首がもげそうになった


俺はホームレスで19とかそこらだった






ギアーブルーズが試聴機に入ってたって事は



1998年って事になる


































































































本当に行くあてがなかった
























































































みると知り合えたのもミッシェルガンエレファントのおかげだった

三三の飲み会で

他の皆は「あー。エレファントカシマシ?今宵の月のやつ?」とかゆってて

俺とみるだけがミッシェルガンエレファントを愛していて



だから俺たちは付き合い始めた









宮本の名誉のために言っておくと
俺たちはエレカシの事も愛してた
雨の日のライブに宮本が水の入ったバケツを持って出てきてそれを自分から頭にかぶって
「さあこれで条件は同じだよな」
っつって始まったあの大阪のライブを
よく憶えてる





































急に出て来た宮本という人物が誰の事か分からない奴はこの先は読まないでいい





















乱暴で申し訳ないけれど

こういう選り方が俺達の世代の流儀なんだ













































まぁあれも確かミッシェルが出るから
観に行ったフェスだったけど

























あの頃みるは大阪の短大のキリスト教科を出た後に京都の呉服屋に勤めていて

俺はグッドウィルという人材派遣会社に
現場上がりの内勤で勤めてた



たまたま京都に来てた
イケイケのベンチャーヅラの
大阪の統括マネージャーから
急遽譲ってもらった
ミッシェルのチケットをめぐって
そのライブに結局行けなくて
揉めたりした夜もあった










チケットが手に入ったから
一緒に行こうって
息巻いて
携帯の留守電に入れたって
そんでその返事が遅れて
ライブに行けなくたって
社会人なんだから
残業の日もあるし
当たり前だよな


けれども22才の俺の頭蓋骨の中には

脳味噌は入ってなかったから

そういう当たり前の事も

分からなかった










みると別れた後は
ずいぶん荒れたし
刑務所には入らなかったけど
呑んで起きたら留置場だった事はある





留置場ってさ
ルパン三世が掴んでるような
鉄の棒じゃないんだよ
キレイなアクリルなんだよな
展示されてるフィギュアみたいな
気分になったよ

クリアーで透明な
監獄なんだよな今は






まああくまで


四条大宮の警察署はという話だけれど





他の警察署は知らんけれど



























何の話だっけ?








ミッシェルとブランキーの話?









ROSSOの話だっけ?













































ゴッドファーザーのテーマで出てくる
あの黒いスーツの男たちは
僕らの世代の魂に


楔を深く打ち込んだ



それは今も抜けないし
もう多分
一生このままだ


一生聴く


オールナイトニッポンで
佐久間宜行も言ってた通りだ



世の中にレコードショップがあって
そこにたくさんのレコードがあるのは

みんなそれぞれ
必要としているレコードが違うからだ


ビートルズでもストーンズでもなく
エアロスミスでもピストルズでもなく
忌野清志郎でも矢沢永吉でもなく
甲斐バンドでもなく
ブルーハーツですらなく

僕らは僕らのロックを求めていた







90年代後半から2000年代初頭のあの頃


双子のビルに旅客機が突っ込んだあのテロの時代に






僕らは僕らだけの
僕らと共に生きる


上の人のお下がりじゃない




僕らのロックを


強く求めていた








強く強く




























深く














狭く

































今の若い人たちにもきっと
そういう大切な人がいるだろう




僕のよく知らない大切なバンドや歌手が






京都に暮らしていたあの時代

僕にとっては

それはチバだった










京都磔磔

神戸チキンジョージ

Zepp大阪















今の若い人は不思議に思うかもしれない
大好きなアーティストに向かって
ペットボトルを投げつけるなんて

きっと理解できないだろう

ピストルズが96年に再結成した時に
感激したファンが昔のように
歓声を上げながら
ステージに物を投げたら
ジョニー・ロットンが怒って
ライブが中断した事があった

それでファンは気付いたんだ
ああもう昔とは
変わっちまったんだなって



考えてみたら物を投げる方が
悪いに決まってんだけど


古いキッズは
最高にいかしたパンクバンドには
物を投げるようにと
そもそも
ピストルズから教わったんだ


小綺麗な洒落た商業ロックではない
パンク(ゴミ)のロック

客席からブーイングされ
物まで飛んでくるが
「知るかよ」と雑音を掻き鳴らし続ける
三つのコードだけを稚拙に繰り返すような

そういうものがカッコよかったんだ

あの頃のロンドンや世界のキッズ達は
商品になってないような生身のロックに
しびれたんだ

というかまあ
ロックってそもそも商品にしちゃだめだからな

だって「手作り何とか」って食べ物を工場で大量生産して金儲けに成功したとしても

それは致命的に嘘だろ?







そんな系譜があって

ミッシェルのライブにペットボトルが
投げ込まれる事件は起きた



今で言う炎上事件だね






考えてみたら不思議だ


僕らはみんな


どれだけ心を貫かれても



決して彼に敬称を付けることもしなかった










僕らはただいつも二文字







ステージに向かって






















喉が破れるまで叫んだ












































「チバ!!!!!!!!」と













































僕らはあの頃
薄汚く
鋭敏で
愚かで
パンクロックが大好きだった

毎日毎日
紙巻きタバコを吸っては舗道に唾を吐き
毎週毎週
ジッポライターに油を差し
毎月毎月
ジッポライターの石を替え
毎年毎年
カレンダーにせっせと丸を付けては
ライブに足を運んだ



































いついかなる時も







ミッシェルを聴きながら




































































いついかなる時もミッシェルを聴きながら








































































































































































































































































































































YES








アンコールが欲しければ繰り返そう


















いついかなる時も





我々は








自由詩 EVER BELIEVE IN Copyright TAT 2024-01-30 17:08:20
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