それだけが
ホロウ・シカエルボク


羽虫が渦を巻く
屋根裏の寝床で産まれた
産声はか細く
皆がこの子は駄目だと思った
けれど乗り越えた
四つになるまでは
臥せってばかりだったけど

学校には馴染めなかった
教師とも
級友とも合わず
そのわけもわからぬまま
一人で居られる場所を探した
使われていない教室とか
閉鎖された屋上へ上がる階段の踊り場とか
学校に足を踏み入れると
そこから一日動かないことだってあった

ある日、彫刻刀で
校庭で見つけた鼠の死骸を
丁寧に解体した
皮膚を、筋肉を切り裂く感触に
不思議なほど昂ぶりを感じた
でもそれだけだった
何度も許されることではないとわかっていたから

鼠をそれからどうしたのかよく覚えていない

そんな季節が終わり
街に放り出された
人に会う必要のないバイトを選んで
どんな実感もないままに暮らした
これが人生というものなのか
時々はそんなことも考えたけれど
だからって違う道など考えもしなかった

十九の時、母が死んだ
二十一の時、父が死んだ
真面目に生きていればきっといいことがある、そう言い続けた二人は
結局どんないいことにも出会わないままだった
おかげで若いうちから葬式のことには詳しくなったけれど
もう身寄りなどひとりも居なかった
相変わらずバイトをしながら
ひとりになった家で生きた

ひとりになって六年目の夏
深夜にふと目を覚ますと
部屋の机の引出を漁っている影に気付いた
誰だ、と反射的に口にすると
影は驚いて振り返り
こちらに包丁を突き出した、黙れということだ
じっとしていると近寄って来て
カネ、カネと言いながら腕を包丁で軽く突いた
近過ぎるな、と思った
腕を振ってみると綺麗に当たって
強盗は吹っ飛んだ
包丁を拾って、それから

強盗を解体した

強盗は中年の男だった
日本人じゃないみたいな感じがした
そういえば「カネ」のイントネーションも
少しおかしかった気はする
大変に骨が折れたけれど
久しぶりで楽しい作業だった
浴室を使った
古い、無駄に広い浴室を初めて便利だと思った

インフルエンザにかかったと嘘をついて
一週間休みを貰い(そういうことには徹底している職場だった)
後片付けを徹底的にした
そういう掃除に適している洗剤というのがちゃんとあって
インターネットでなんとか見つけることが出来た
解体した肉は冷凍しておいた
買物はしばらく野菜だけで済みそうだ
骨は綺麗に洗って
山奥にでも持っていくことにした
もちろん石に見えるくらいに砕いて
少しずつ
山に入ってから砕けば誰も気にしないだろう

罪の意識はなかった、ただの自己防衛だった
抵抗感もなかった、ばらしてしまえばただの肉だ
人の肉は硬くて食えたものじゃないとなにかで読んだことがあったけれど
牛や豚の肉とそんなに変わらなかった
硬い肉を柔らかくする方法なんていくらでもあるし
次にまた食べたくなったらどうしようと思ったけれど
そんなことは山ほど凍っている肉が無くなってから考えればよかった
野菜を買い、肉と一緒に調理して食べ
休みの日にはいろいろな場所へいろいろなパーツを捨てに行った
焦らずにやれば誰に気付かれることもない
肉料理に凄く詳しくなった
作ること自体が楽しくなって
ネットでレシピを漁ってはいろいろなものを作った
そんなふうにして日常を過ごしているうちにストックはすっかり無くなってしまった

食べたいわけじゃなかったけれど冷凍庫が空っぽなのはなんだかもの足りなかった
いろいろな肉を買って詰め込んでおいた
ここで次を求めたら絶対に失敗するだろうと思った
なので気持ちを落ち着けて大人しく過ごした
安い懸垂用のマシンを1台購入した
ある日
行きたくもない飲み会に参加した深夜の帰り道
シャッターを下ろした薬屋の店頭に置いてある室外機にもたれて寝ている女が居た
もしもし、と声をかけた
眠っているのか潰れているのかわからなかったが返事は無かった
連れて帰って浴室に設置した懸垂台に吊るした
首の頸動脈を切って血抜きをした
それが済んでからなんとなく一度使わせてもらった
思えば初めての経験だった
特別感想は無かった
その後の作業を急がなければならなかったから

夕食をしながら、人生とはこういうものなのだろうか、と
ふと考えこんでしまった
女の肉は男の肉より少し柔らかく甘い感じがした
もしもこれが他の誰かに聞いた話なら
それを人生と呼んでいいものだとは思えないと即答しただろう
とはいえこれは紛れもない現在進行形の人生なのであり
奇妙だからと途中下車をするような考えも浮かばなかった
ただ生きているだけだという気がした
願望ではなく結果として
これまでを生きてきただけだった
けれどそんな積み重ねの経過としてここにこうしているものを
どんな能動性の中に当て嵌めれば正解なのか見当もつかなかった
だからもう一度夕食を再開した
女の肉は男の肉より少し柔らかく甘い感じがした

それから一度も人の肉を食らうことはなかった
安全に食らう機会がまるでなかったわけではなかった
けれどもう食わなくてもいいだろうという気持ちになって
それからはすべての食材を買い揃えて調理して食べた
まあ、いまはこうして
点滴で生きるしかない状態なのだけど…
1日動けないで居ると、時々奇妙なことを考える
この身が誰かに食べられることだけが足りなかったのだ
畜生、しまったな、大失敗だ
こんな身体になってからそんなことに気付くなんて
ベッドの上で激しく笑った
そのうち、頭のどこかでぷちんという音がして

意識が…


自由詩 それだけが Copyright ホロウ・シカエルボク 2023-04-10 21:54:03
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