様々な窓に明かりが灯され、生活は展開されていく。
ホロウ・シカエルボク


心魂に付着した闇色の血液が何時のものなのか思い出せない、長針と短針と秒針の間で削がれていく記憶、瓦礫に埋もれた不完全な頭蓋骨は途方も無い親近感の中で賑やかに煌めいていた―夕刻、イメージは常に無意味に、破滅的な意志だけを雄弁に語る、どこかの台所から漂う夕食の準備は、義務的な幸福を食卓に並べ立てる、偽物の笑顔ばかりが踊る候補者たちのポスターのように…何もしないで居る、窓は老人の口のようにだらしなく開かれている、幾つのものを掬い出せたか、血肉に埋没する懸念と後悔、使い道の無い建造物のように背後に佇んでいる、無数の、小さな蝶のように現在が辺りを飛び交っている、運命の瞬きのように視界がちらついて居る、まるで経文を思い出せない坊主だ、白紙の文書に勝てる思想は皆無かもしれない、穏やかに見える川の流れほど、底を撫でる力は激しい―幾度か優しい明滅がそこにはあった気がした、一瞬のことほど永遠になり得る、幾百万の詩篇がその中で死んでいった、鎮魂…失われたものには名前がつけられない、そんな事実に躍起になって抗うのが詩人という生きものだ、指先には細やかな奇跡がある、そんな信仰だけがここまで命を繋いで来た、純粋さとは違う、それはただの無知だ、裏付けのない主義主張と同じだ、肉体を否定する精神と同じだ、そんなものにはどんな過去も未来もない、ただ同じ現在が限界まで繰り返されるだけのことだ、ひとつの思想が、ひとつの意志が、ひとつの確信が裏切られるところからすべてが始まる、虫のように小さなポイントを飛び移り続ける、微調整で済むときもあるし、大きく方向転換しなければならない場合もある、違う、と認識すること、それを塗り替えること、その繰り返しで真実はゆっくりと構成されていく、そしてそれは、決して完成に至ることはない、それはおそらく、人の一生の間では築き上げることは出来ない、不死ならばどうか?―それはなおさら不可能になるばかりだろう、生きる時間が長ければ長いほど、それは入り組んで絡み合う、すべてが解ける頃には何を知ろうとしていたのかも忘れているだろう…これは悲観的な話ではない、これはすべて人に感知出来る階層の話に過ぎない、意識の最奥部ではそれは確実に留められているし、確実に構成されている、ただ、それを知る必要はないというだけのことだ、すべては知らない、ただ、それはゆっくりと溶け、身体の中に流れ込んでくる、説明のつかないもの、理解の及ばないものとして、肉体の中に存在し続ける、指針を失うことのない連中は、どこかで常にそれを感じ取りながら生きている、すべてを理解しようなんて思わない方がいい、長く生きるとようやくそれだけは理解出来るようになってくる、そこから先は高度なゲームのようなものだ、過去、現在、現実、真理が、細い糸のように絡み合って足元に散らばる、解いてはならない、すべてを解ききるには時間がとても足りない、ましてやそれが砂のように散らばっているとあっては…!イマジネーションと触角、正解は無数にある、でもいつも同じではない、ピースの変化するパズルだ、その時の正解だけを瞬時に選ばなくてはならない、タイムアタックではない、得点制でもない、ただそれは選択され続ける、自分を解き放てないものたちは、その時点で気がふれてしまうだろう、いつだって途方も無い作業に身体は少し凍えてしまうだろう、けれど時々、そんな冷えを遥かに凌駕する熱源に辿り着くときがある、そいつが精神と肉体を強靭なものに塗り替えていくのだ、そこに達することは最初は容易ではない、けれど次第にコツがわかって来る、当然だ、そのすべてを形作っているのは自分のそのものなのだから―次第に夜が訪れる、様々な窓に明かりが灯され、生活は展開されていく、空腹…食事だってそうだ、そのすべての構成を知ることなど出来ない、訳もわからぬまま食らいつき、噛み砕き、嚥下する、すべての構成を知ることなど出来ない、でもそれは繰り返され、そのおかげで生きている、命が語る物事は途方も無く膨大で、食べ尽くされた皿の前で人は茫然とせざるを得ない、何を得たのか、何が行われるのか、それを正しく理解出来る者など一人も居ない、小理屈を並べてわかったような顔をするには荷が重過ぎる代物さ、大切なのはすべてがそこに在るのだと―自分の意志などお構いなしにそれらは在り続け、動き続けているのだと認識することだ…大きな流れに抗うことは出来ない、ならばその中でほんの少し、渦を巻いたり、色を変えたりして語り方を変えてみるべきなのだ、そう、そんなことに躍起になって一生を費やすのが、詩人という生きものなのだから―。



自由詩 様々な窓に明かりが灯され、生活は展開されていく。 Copyright ホロウ・シカエルボク 2023-03-27 13:59:05
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