新宮栞さんの詩を読んで(ことばとことばをつなぐもの)
青色銀河団

私は、以前から新宮栞さんの詩にぶちのめされています。
こんなすごい詩はめったにお目にかかれないと思っています。
新宮さんの詩のすばらしさは、そのテーマ・構成の仕方・文体等さまざまな側面がありますが、今回新宮さんの詩のおける、ことばとことばのつながりのすばらしさについて、私なりに感じたことを書いてみようと思います。

まず最近付け焼刃的に仕入れた知識をひとつ。

隠喩は類似性による言葉の結合ですが、この場合は白さにおいて雪と肌が似ているわけです。また、同じ類似関係を「雪のような肌」というふうに言えば、そう、直喩になります。一方、山と答えたなら、雪の換喩を言ったことになります。換喩というのは隣接性による意味の転移で、しかじかの語によって指示される事物同士の接触・包含・因果関係などを利用する用法です。ここで重要なのは、隠喩を構成する雪と肌は事物としては遠く離れているので、その結びつきは言語原理によるといえますが、換喩を構成する雪と山は事物として接触しているので、その結びつきは世界原理によるということです。(「現代詩作マニュアル」野村喜和夫著 思潮社P68)

換喩はこのように世界原理を媒体に類似性や隣接性をもって他のことばに置き換える手法ですが、新宮さんの場合、私たちの個人的無意識や集合的無意識を媒体として他のことばに置換するという独特の換喩(的手法)を用いていると思います。
最近再投稿された「(未詩) (無題) (苺)」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=36958 を例に述べます。

(高架下で)
雨が静止する、ノイズは、
細かい

高架下という人気のない剥き出しのコンクリートに囲われた場所から雨を見ている。「雨が静止する」ように見えるときというのは、私の感覚からすると、意識的に眼圧を高め自ら貧血状態にするように凝視すると瞬間静止しているように見える(ような気がします)。いずれにしても通常あらざるものを見ようしている状態。あるいは時間が静止した状態。そして次に続く「ノイズは、」。これが静止した雨と換喩の関係にあると思います。虹彩を開き、瞳の水晶体のレンズのF値を上げ像の被写界深度を浅くすると網膜に映る像のボケ具合が大きくなる。静止した雨はあたかもブラウン管にちらつくノイズのように見えてくる。

画家は絵を描き、___

細かいノイズ-ブラウン管-光源の集合-点描画法と換喩の連鎖が続き、スーラやシニャックなどの後期印象派の画家がキャンバスに向かう姿が浮かび上がる。

作曲科は音符を記し、___

画家との明示的な換喩。作曲家とすると家が重なるので避けたのだと思いましたが、作曲科とすることで、あたかも作曲科とプレートがかかった誰もいない教室、あるいは顔のない集団が音符を記す様が想像されます。

詩人は、川岸、

ここで高架下の意味の一部が明らかにされるように思います。高架下だからすぐそばにはかなり幅のある川が流れています。川岸、と書かれることで、向こう岸とこちら側、此岸と彼岸が意識され、従って高架下はこの世とあの世の境界を意味する隠喩として書かれているように思います。

意味を、安楽死させる___

そうして最後に重要なテーマの死にたどりつく。先の詩人(話者?)はもしかしたら死人につながるのかも知れません。また安楽死は後の連で様々な変奏を伴って現れてきます。
このわずか七行の中で、静止する雨→ノイズ→画家→作曲科→詩人→安楽死と換喩が見事に連鎖してつながり、一方隠喩としてこの世とあの世、生と死の境界であるこの詩の舞台が設定されるのです。


点がふたつ並んでいると人間の顔に見えます。これは、海馬の中でイメージはパターン毎に分類されて保存されているからだと聞きます。だからパターンが似ていれば無意識のうちに他のイメージが連想されるのだそうです。
これと同じように、新宮栞さんの詩は(最初の7行しか説明しておりませんが)、私たちの無意識における記憶の類似性・隣接性を刺激する無意識世界の換喩とでもいうべき手法を用いることで、私たちをいやおう無しに、その詩の世界に引き釣り込んでゆきます。
別の言い方をすると、夜見る夢のようなことばのつながり方です。表面に現れていることばは一見脈絡がないように見えても、その背後には無意識を通じて意味がしっかりつながっています。切ればその切り口からじんわり血が流れ出てくるような密度の濃いある意味恐ろしい詩だと思いました。(ちなみに以前投稿されていた「妹_____葬列」は、この無意識世界の換喩のほかにことばの音素による換喩とでもいうべき表現があり、ことばが本来持っている呪術性を意識させるすばらしい作品でした)


最後に、この文章は新宮栞さんに全く断りもなく書いております。あくまでも私個人がこのように感じたということなのですが、文中失礼な点がございましたらお詫びいたします。また私の力が及ばず新宮栞さんの詩のすばらしさを全く伝えきれていない点もあわせてお詫びいたします。
なお「換喩」の言葉の使い方に今ひとつ自信が持てないのですが、もし誤っていたらどなたかご指摘いただけたると大変ありがたいです。



散文(批評随筆小説等) 新宮栞さんの詩を読んで(ことばとことばをつなぐもの) Copyright 青色銀河団 2005-05-03 01:29:44
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