くだらない街の冬の陽炎
ホロウ・シカエルボク


妄想癖の神父は教会の入口のそばで、目を覚ましたままぼんやりと涎を垂らしている、教会前の広場にずらりと並んだ日曜日の市場の、果実売りの娘が横目でそれを馬鹿にする、本格的な冬がやって来て、空は日本製の最新型のテレビ画面のように澄んでいる、その日二本目の煙草をフィルターのすぐ手前まで吸いきったあと、石畳に捨てて踵で消火活動をする、神父が臭いに気付いて片付けてくれるだろう、どうか非難しないで欲しい、これは彼の妄想を止めるための神聖なる儀式なのだから…十三歳くらいの、小児性愛趣味の連中に好かれそうな赤ら顔の少年が生活排水で塗り潰された川に釣糸を垂らしている、もしか魚が釣れたところで食べられるものでもあるまいに、きっと、彼にとってそれは食べるための釣りではないのだろう、キャッチ・アンド・リリース、個人的な意見を言わせてもらうなら、そんなものは釣りとは言えない、釣りによく似た娯楽のひとつだ、だけどそんなことにこだわり始めたら、クレー射撃は果たして射撃と言えるのかというようなことを考え始めなければならなくなる、皿?馬鹿にしてるのかね、銃で狙うものと言えばなんだね、それはきっと獣か―人間であるべきじゃないのかい、なんてね、自転車が欲しいなと思った、なんでかっていうと、さっきその、射撃の話をしてる最中に女子大生と思しき娘が格好のいい自転車で細い魚のようにスーッと泳いでいったからさ、本当に見事な自転車だったぜ、あんまり素敵過ぎて上に乗ってた娘のことなんかほとんど思い出せないくらいさ…俺は街の粗大ごみ置場と化してる空地へと歩いて行った、そこそこマシな自転車の一台くらい拾えるんじゃないかと思ったからさ、咎めるような目はよしておくれよ、こちとらいつだって一文無しと来てるんのさ…おっと、そこの空地は本当は粗大ごみの捨場なんかじゃもちろんなくてね、ちょっと曰く付きの…幽霊屋敷が建ってた跡地なんだよ、俺が生まれたころからぼろっぼろの廃墟でさ、貴族の別荘くらいの大きさの屋敷さ、まあ、豪邸っていうには少し小さいのかな、っていうくらいのさ―俺、十五の時によくそこで過ごしてたんだ、過去になにがあったのか、街の連中は本気でビビッててさ、誰も寄りつきゃしなかった、俺はどこにも居場所がなかったし、幽霊なんて信じちゃいなかったから、おあつらえ向きッてなもんだったんだ―おかしなことなかったのかって?何度かねえ、見たといえば見たよ、だけど、ほら、こっちもちょっといい気分になってたもんだから、あれが現実かどうかなんてまるで分かんねえ、もし現実だったのだとしたら、幽霊のほうが俺を見て呆れてたのかもしれないな、まあ、あんまり表情の無い娘だったから、なにを考えてたのかなんて知る由もないけどね―それはともかく、俺はそこでいい感じの自転車をひとつ見つけ出した、近頃じゃあまり見かけないごてごてしたデザインで、フレームが少し曲がっていたけど修理のおっちゃんに任せればすぐに直してもらえそうだった、タイヤは使い物にならなくなっていたので、絶対に交換する必要があった、タイヤ代を稼ぐ必要があるな…従業員が一人しか居ないガソリンスタンドで、そいつが給油に夢中になってる間に事務所に忍び込んで多めに拝借した、店に持っていくと、漫画に出てくる吸血鬼みたいなおっちゃんは鋭い眼光で自転車を隅から隅まで調べ上げた、「おまえ、これどうしたんだよ?」もらった、と俺は言った、嘘は言ってないぜ、もらいもんには違いないだろう、ふうん、とおっちゃんは唾でも吐きそうな顔をして言った、「タイヤとチェーン、ベアリングも変えないと駄目だな」これくらいで足りるかい、と、俺はさっきのバイトで手に入れた金を見せて言った、それももらったのかい、とおっちゃんは目で言いながら頭の中でレジを叩き、「おつりが出るよ、飲む金くらいは残るだろうさ」と言った、あとで取りに来るよ、と言って俺は近くをぶらぶらすることに決めた、カフェのそばでアミに会った、アミはこの街に居る男ならだれでも知ってる娘さ、その日はパンケーキを食わせてくれる相手を探しているらしかった、俺は声をかけてアミに仕事をさせてやり、パンケーキを食わせてやった、ありがとね、ごちそうさま、とアミは言って帰りかけた、おい、と俺は彼女を呼び止めた、「今日はこのあと用事あんのかい?」「ないけど、どうして?」自転車を手に入れてさ、と俺は説明した「もうすぐ修理が終わって走れるようになるんだ、後ろに乗せてやるから海でも行かないか?」うーん、とアミは考えてるみたいな顔をした、「車なら飛びついたんだけどね…だけど、面白そうだから、連れてってもらおうかな」よし、と俺たちは二人で自転車屋に戻った、おっちゃんに金を払い、磨いてもらってピカピカになったそいつに乗って二人で海に行った、冬だから誰も居なかった、だから俺たちは開放的になってつい砂浜でやってしまった、砂が入ってしまって痛い思いをしたけど、イクとこだったからすげえ我慢したんだ、服を着て居眠りをしてたらすぐに夜になった、自転車はライトが点かなかった、やだな、もう、とかアミが馬鹿にするから途中で降りてもらった、なにか叫んでたけど知るもんか…家まではまだだいぶ距離があった、喉が渇いて、それにちょっと寒い思いもしてたからコンビニを探した、しばらく走ってようやくたどり着いた店で、自転車を止めて買物をし、一息ついてもう一度自転車に乗ろうとしたとき、ちょっと前までアミが座っていた荷台に誰かが座っているのに気付いた、俺に背を向けてたから正面に回り込んだ、その顔には見覚えがあった、「おまえ…」娘は久しぶりだねと言うようににこりと笑って、それから口を閉じた、その瞬間だ、もの凄いブレーキ音と、こっちに突っ込んでくる廃ビームのヘッドライト、もの凄い衝撃があって、身体が熱くなって、それから冷たくなって、痺れてきて、それから…


自由詩 くだらない街の冬の陽炎 Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-12-19 23:14:50
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