初冬の朝
山人

 まだ里に雪は降りていないが、初冬である。晩秋にかけて、割と寒くはなく、むしろ暖かいと感じた。
 あたりはすっかり寂れた風景となっていて、収穫の予定のない近所の畑の渋柿だけが鮮やかな色を呈している。他の色と言えば、茶色い色とやたら眩しい太陽光線だけだ。
 雪を前に、土建屋のトラックが忙しそうに行きかい、私はそれをうらやましそうに終日幾日も眺めていた。働きたいのに、働くことを制限されるのは苦痛でもある。
 この秋は多忙に明け暮れた。従来通り、登山道除草を土日に挟み、平日は勤務に勤しんだ。そんな折、十月の初旬に母が他界。年齢から言っても妥当であったが、あと五年は少なくとも生存するであろうと思っていた。初仏という事もあり、何かとあたふた過ごした。その後、しばらく忌引き休みが続き、一週間後勤務復帰。そして、十月後半に集中した家業を連続でこなした。
 今年最後の現場に入ったのは、十一月八日だった。週末は亡き母の長年溜め込んだ大型ごみなどを処理したり、好天にもかかわらず雑用に終始した。
 十一月十五日、私含め四名は山林に散らばり、雪降り前に現場を終わらせようと持ち場に着き、それぞれが刈り払い機を作動させ始めていた。当日の朝は七時前から事業所に出向き、入念に用具を整えたので、不安などあろうはずもなかった。
 作業開始から、三十分後、私の刈払い機で伐った木片が、なにかの拍子で私の眼球めがけて激しく衝突した。尋常な衝撃ではなかった。五月末に大腿の強烈な打撲をやってしまい、その際は今季絶望か?と思ったが、重度の打撲で済んだのであった。そして、今回、かろうじて、片目は問題ないので、刈払い機と荷を担ぎ、ゆっくりと転倒しないよう、なんとか山林を後にした。近くの同僚に怪我をした旨を知らせ、上司に連絡。車の運転は本来するべきではなかったが、上司と落ち合うまでは片目で運転し、その後は運転をお願いした。下手をすると眼球崩壊かと思われたが、どうやらそれは免れたようだ。しかし一週間の安静を言い渡された。
 翌日、症状はだいぶ良くはなったが、依然右目の視力はぼやけていた。今日で、怪我から六日目。明日は診察日である。視力は元に戻ってはいないという現実がある。だいぶ戻っては来ているが、この先、左目と同じ視力になるかと言えばなるとは言い切れないだろう。そのことは不安だが、現実は受け止める以外に方法はない。
 安静期間は、読書など出来ようもなかったが、動画はよく見た。ひいきの政党の動画が主だったが、フル映画も配信されていたのでそれも併せて鑑賞した。
 相撲鑑賞も趣味だったので、十両から見ていた。新しく郷土力士が十両になったり、幕内でもエレベーター力士になりつつある、ひいきの力士の応援もしていた。「また、負けたのか」負けるべくして負けているじゃないか。そのことを、そのまま自分に返してもいた。弱いから負ける、というのは、正しい究極的論点だが、なぜ弱いのか?という部分では多くの問題があるのだろう。
 私の怪我の要因は、安全面での基本的なものの欠如であったと私的に断定している。一見、安全のようでもあるが、そこにおごりがあった。これに尽きる。基本的な安全よりも、作業効率を優先していたに他ならない。結果として、神はその誤った考えを改めるにふさわしい、禍(わざわい)をプレゼントしたのだ。
 なにかのトラブルを、逆に何かのメッセージとする考えもあるようだ。それを考えるとこの安静期間中に、いくつかの気づきがあった。それは本来自分は何者であるかという根本である。一応家業を持ち、米粒のような矮小事業所でありながらもその代表であるという事をあらためて考えていた。安静期間中は、二十年前に設置した家業のサイトをチェックした。はからずも、家業のサイトというより、趣味をメインにしたような発信は、広くお客を誘客するものではなかった。なので、そういう部分を訂正し、久々に訂正を加えた。そして、私の本来のルーツは蕎麦職人であり、もう一度元となる、ダシ汁のベースを作ったり、出汁の配分などを明確に数値化してみた。つまり、この安静期間は、私の今後のわずかな可能性を抽出してくれた期間でもあった。
 言えることは、残りの人生を全開で走ってはいけないということだ。いくつかの選択肢を残しつつ、手探りしながら七割程度の力で勤しむことだ。定年には、一年四か月ある。そこから先のことも考えていかなくてはならない。母の後には、アルコール依存の九十一の父もまだ残っている。五体満足でまだまだ私は存在していかなければならない。

 昨日、母の四十九日法要を行った。家族だけ(妹の夫は参列)の小さな法要であったが、終了後の父はあいかわらず酒で悪酔いし、とめどなく言葉を怒鳴り、他界した母はやっと静かに居られると笑いあった。妹の夫には、コロナ禍でこじんまりとした四十九日で良かった、普通の法要はこんなもので済まないね、と皮肉られたが、世間一般の四十九日など出来ようもなく、この人には一生頭が上がらないのだろうかと自分自身の生きざまを呪った。
 父も一人で開拓に入り、私もマイナスから起業した。妹の夫は優勝な整備士で長年勤務し、まだ貴重な戦力として勤務している。みんなそれなりに苦労しているが、どこかでボタンの掛け違いというものが生まれ、それが歪みとなって人生を坩堝のようにまわしている。

 ここのところ、静養期間中ずっと好天だった。昨日の法要から明けた今日日曜も晴れている。これから長男も長女もそれぞれの拠点に帰ることだろう。たがいに三十を超してしまった子供たちだが、こんな未来が見えない社会で、結婚や孫を望むのは非現実ですらある。だから、子供たちの結婚は望まない。負のスパイラルは私たちで打ち止めにしたい。
 これから、とある神社に長女も乗せて厄払いに行く予定にしている。明日から悪天が続くらしい。また、一年が終わる。そして私たちはまだこれからも終わらない。


散文(批評随筆小説等) 初冬の朝 Copyright 山人 2021-11-21 08:28:57
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