対人恐怖と優しさ
TwoRivers

「あなた自身、自分では気づいていない暴力性を持っている」

ある占い師に言われたその言葉が、
私を救っている。

「自分が他人にどう思われているかについて不安になり、
他人との交流や人前での行為などの不安が生じそうな状況を回避することにより、
日常生活に支障が出ている状態のこと。」

対人恐怖症は上記のように定義とされるが、
多くの現代日本人も心当たりがあるのではないだろうか。

私自身も自分の対人恐怖は自分の弱さや甘えによるもので、
何かのせいにするものではないと感じていた。
「人が恐い」
そんなシンプルな私の物心ついた頃からの悩みは、
年を経るごとに増幅する一方であった。
それは社会人となり、精神病という形でいよいよ浮上し、
人生に立ちはだかった。
病院に通い薬を処方され、症状を和らげる。
休職し、退職し、また求職する。
そんな対処療法では、本当の問題からは逃げきれないことは知っていながら。

マインドフルネス、スピリチュアル、
そんなものにあてもなく助けを求める。
自分から触れようとしなかった問題の本質に触れられたのは、
その過程であった。

その占い師に何か確信があったのかは分からない。
「あなた自身、自分では気づいていない暴力性を持っている」
その言葉に一瞬、何を言われているのかわからないと同時に、
強烈な反発も覚えた。

父親の短気な性格。暴力。
子供の頃からそれに接してきた。
自分はそんな人間ではない、とそれを否定しながらも、
しかしその性格は、私自身にも確実に遺伝していた。
それを無意識に否定するように、私は生きてきた。
抑圧しきれない怒りは、睡眠時の悪夢や奇声となって表出している。

その言葉を消化しながら、私の対人恐怖についても一つの答えが見えてきた。
それは私自身が「他者にどう思われるか」ということよりも、
「他者を傷つけない」という優しさで恐怖を感じていることだった。
内在する暴力性とは対極にある優しさは、当然生きにくさを伴うが、
誰もそこに到達し得ないという誇りも感じられている。

ストレス社会と言われる現代。
多くのストレスは対人関係により発生するものである。
そして自説ではあるが「他者にどう思われるか」という視点よりも、
「他者を傷つけない」という優しさこそ、対人恐怖の根本にあると感じる。
自分で自分を傷つけない。
そのためにも、多くの人が気づいていない自分に内在する優しさに気づいて欲しいと私は願っている。


散文(批評随筆小説等) 対人恐怖と優しさ Copyright TwoRivers 2021-11-21 12:24:45
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