あぶれもの
ホロウ・シカエルボク


世界の糊代に迷い込み、四方八方、己の居場所とはまるで違う有様で、色の薄い一日が繰り返される、精神異常者が見る見境の無い夢のような日常の中で、思考は数十年放置された廃屋の窓ガラスのようにひび割れ、所々欠損していた、吾身を殴り、気を吐き、理由の分らない衝動の渦の中で、極彩色の幻を見ていた、あぶれ児、他人の知らぬ詩を知り、他人の知らぬ旋律に踊り、他人の知らぬ生き様に焦がれた、地べたを這い、擦り切れた皮膚から滲む血のにおいを嗅ぎながら、それでも世界は、それでも世界は、己と共に在った、何を喰らっているのか分らないまま顎を動かし、知を得て、血を得て、要領を失った、それが生きるということだった、擦れ、壊れ、痛み、傷を受けるのは、同じ血がそこに無いからだった、他人の世界では同じ話が出来ることがすべてだった、糊代はその足が、自分以外の何かを踏みしめることは良しとしなかった、生活は、生命は、生存は、変換されなければならなかった、鼓動がもっとも確かに反響する真夜中に、それは書き綴られた、路は変換され、足を止めた場所で変換され吐き出され続けた、意味は求められなかった、それは重要ではなかった、理性は野性のように人の中にあるべきで、だからこそ理由は求められなかった、というより、それを求めるのに使う時が勿体なかった、時には呟き、時には叫び、時には咆哮だった、変換され織成されるものは、すべてを語ることがないままに明らかにした、例えば水が流れるように、朝には陽が、夜には月が空にあるように、あぶれ児はあらゆる時を、どこか現実感を欠いたその時の中を、夢遊病者のようにぼんやりとした目で彷徨い、その足取りが変換される時にだけしっかりとした態度で臨んだ、あぶれ児はやがて年月を経てあぶれものになり、より遠退き、より余計に、より確かに、誤差の中を徘徊した、これなのだ、これなのだと、熟した実を手に取るようにひとつひとつの現象に解釈を添えていった、それは時には同じものにたいして何度も行われ、挙句まるで違うものになるときもあったし、右往左往したのち結局同じところに戻って来る時もあった、あぶれものは気が済むまでそれを繰り返し、やがて満足げに何処かへと興味の方向を変えていった、幼いころよりも断層は複雑さを増し、進むことは容易ではなかったが、あぶれものは知るほどに妙に楽し気に歩みを続けた、自分がそんな運命を気に入っていることをとうに知っていた、ただまれに、血の近い誰かがそのそばで、要らぬ傷を受けた時などにその胸は痛んだ、それはあまりないことだったが、そんな記憶はなかなか薄れることがなかった、同じ目、同じ言葉、同じ感情、子供用の漫画映画を見ているような気分で、あぶれものは日常を歩き、時には認識を改め、時にはやはりそうかとため息をついた、もはや糊代の外の世界になどたいした興味は持てなかった、それはただ粗雑に整えられたからくりに過ぎなかった、あぶれものはそれをつまらないことだと思った、しきたりのために生きることは出来なかった、たとえそれがある程度人生を保証してくれるようなものだったとしても、あぶれものにとってそれは人生ではなかった、あぶれものは時々狂ったように綴り、叫んだ、その反響が自分の中で新たな命を生み出すのが楽しかった、インスピレーションは幾度も繰り返されて研磨されていくのだ、あぶれものが綴り続けるものはある意味ではたったひとつであり、己が生きる世界のすべてだった、あぶれものはもはや他のどんなものも必要としなかった、いまだ覚束ない世界の中を、内奥の堆積を引っ掻き回すことで折り合いをつけ、次の行方を模索し続けた、それでも時々は周辺にばらまかれた紙片にどれほどの意味があるのだろうかという考えにとらわれることがあった、けれどそれが不安や、失望や絶望の種にならぬほどには時を重ねていたし、それがどんなものであれただただ全うするだけだという覚悟はとうに決めていた、血を騒がせる以外のものは真実ではない、それが唯一の確信と言えば確信だった、あぶれものは生命に新たな色を付け続けた、あぶれものは同じ言葉でも違うように話すことが出来た、すべてのものには表裏一体の意味があるのだと知っていた、同時に、知っていることを信じないようにした、たったひとつの生命の端くれが知っていると自惚れた時点で、それは嘘になると信じていた、あくまでそれは、身をかすめていく風の感触のように感じていなければならないことだった、あるひとつの流れが一段落したとき、あぶれものは燃えるように暮れていく空を眺め、自分が最期に綴るものはどんな色をしているだろう、と、ふと考えた、それを思えばますます死ねなくなったし、生そのものをどこまでも追い詰めてやろうという気になるのだった、あぶれものは空を睨み薄ら笑い、こいつは今夜俺の机に並べられるだろう、と考えた、そして揺れながら静かにそこを離れていったのだ。



自由詩 あぶれもの Copyright ホロウ・シカエルボク 2021-09-05 14:58:42
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