8月14日。未日記
道草次郎

8月14日 AM6:00


起床。カーテン越し、自室の窓には早くも直射日光が照り付けている。網戸にしてあるからといって、別段涼しい風も入ってこない。フォーラムにlogin。私信なし。ここの所スマートフォンの見過ぎで右目の視力が極度に低下。バランスを欠いた視力のせいか昨夜は偏頭痛薬を2錠服用した。軽い胃炎、胸焼けもある。親指を操りメモ帳(アプリ)に空しい何行かを綴る…

《びしょびしょ雨に濡れ続けると体温が下がり死に至るのだから現実のある時点に於いて体を暖めることが恩寵となります、## なんだかもう訳が分からない かなしい 虚無の凪なり。 》

仏間の方で鈴(りん)の音が鳴る。それは千度目の罪悪感。父の遺影を見れず。枕におもてをうずめて何秒間か窒息の心地を堪能。無垢材の床をこらしめるスリッパの音…責められている心持ち。


AM10:30
午前に来客ありとの事。お暇(いとま)させていただきたく候、と惨めなことの繰り返しくりかえし。妻のLINE既読せず。車に乗り冷房のスイッチを入れる。冷えるまでの時間…身体の不愉快に慚愧に堪えぬちびた心が混ざり合う。フォーラムにlogin。私信なし。なかなか冷えない。


AM10:48

行く宛もない。1番嫌いな奴の1番油断してそうな貌でも拝んでやろうという下卑た心から、閉業の市役所へ。駐車場には2台、業者と思しきワゴンあり。ロータリーの真ん中にはブロンズの少女が3人。みんな舞姫。雀だかの鳥〈有機体〉が1人の少女の月桂樹の冠に白い糞をするのを悠然と鑑賞する。つまらなくなり、道路を挟んだ斜かいの農協の方へ往く。たった数万円の給金の振込の有無をATMにて確かめたかったが、電光掲示よると祝日につき営業いたしておらないそう。

仕方がないととって返すがはやいか、ふと目に止まったのは白い軽トラから降りてきた偉丈夫。青いタオルを八巻にしてその肌は黒黒と輝き、眼は鋭かった。どうやらジュースでも買うらしく小銭をニッカポッカの無限に有るとも思える洞窟のようなポケットからジャラっと取り出す。おや、鍾乳石もお持ちか…などとその偉丈夫と夢想のかけあいをするこの偏頗な脳髄。


AM11:04

カンナという花を知っておいでか。カンナは季語にも列せられる真紅の燃え滾る様な大花だ。わが町の市花として名高い…事もないが、とにもかくにも至る場所にこの花があるので夏はひじょーに暑苦しくて敵わない。無人の役所を後にして近くのコンビニエンスストアに涼を求めにゆこうと、も一度車を走らせていれば、嫌でもこのカンナの花が目にとまる。カンナは大体に於いて殆ど赤黒いと言っていい程の紅色を毅然と咲かす花であるが、稀に黄色のものもある。黄色も黄色でたいへんつよいもので、見れば見るほど愈々この夏もぐらぐらと煮えたち、一層な眩暈を引き起こしかねない程の代物だ。

昔、このカンナの赤と黄の事を句に詠もうとしたことがある。かんがえ倦ね輾転としながらもカンナに白のないことや、赤と黄が織り成す暑苦しさの権化のごとき奇態をどうにか17文字に翻訳できないかと頑張ってみた。が、けっきょく小半日をそれに費やしてみたものの、そんな事に費やしたその小半日というものになんだか済まない気がしてきて、辞めた。だから、ぐらぐらと燃えるこの夏も闌(たけなわ)な折などは、カンナの花は空費と徒労の象徴としてしかぼくに存在し得ないという訳なのだ。


AM11:56

セブンの駐車場場(端っこの方、「赤ちゃんが眠っています。アイドリングはご遠慮ください」のすぐ前)に着く。暑い。茹だるようだ。この小汚い汗ばんだ肉体を維持させるために摂取した緑茶とジャスミンティーが腎臓の岸辺に流れ着いて何を思うか、じっさいそれはいささか怖くもある事だ。フォーラムチェック。私信、なし。赤色の井戸水は汲まれず。いつまで、縋るか。果てしてこれは縋りなのか、否か。

昨日、青空文庫で芥川龍之介の『 秋』なる短篇を読んだ事を思い出す。南木佳士という信濃に居を構えている人の随筆をパラパラと捲っていて、ちょっとばかり興味を覚えたので目を通してみた。成程確かにこれは心情の機微を繊細に描いている、とは読みつつ思うものの、特段唆られる所も無いのもまたほんとう。よく判らぬ。Wiki曰く、芥川が初めて試みた近代心理小説…高雅な趣…?高雅だって?これがこうがなら、じゃあ所謂王朝物などはどうなる?あれの方が余っ程こうがっぽいじゃないか、などと独りごちてから矢っ張り考え直して、あれは確かにあの時点、あの近代日本という時代に於いてはひとつの結節点というか、清新さというか、とにかくあれはあれでこうがだったのかなどと思ったりしたけれど、よく分からんから放棄した。『秋』は、女と女と男が出てくる話でそれ以外は消去されていた。たぶんその方が良くて、どうしてかというとそれはたぶん芥川の実験だからだろうと思った。芥川の俳句の方がずっと多くの登場人物を内包しているような気がするし、やはり、『秋』は芥川の人情味のあるチェスみたいものだとそんなことを思ったりした。軽薄な読みであるな、きっと。


PM1:13

帰宅。涼しみ涼しみ。氷を次から次へと製氷してくれる冷蔵庫の奮闘に感謝し、ブラックのアイスコーヒーを仰る。ところでぼくは最近、人生でたぶん一番小説の近くにいると思う。今まで余りにも杜撰に読んできたし、また書いてもきた(詩しか書いて来なかった)わけだが、ことここにいたって終に其れも立ち行かない事態となったのである。いい加減なのをよしと出来るのは、まあ、いい加減が許される迄の話だ。イヤでも積み重なった年輪がぎしぎしと音を立てながら身に迫ってきて、仕方なしの何かをぼくに強いて来ているのを感じる。事態は切迫しており、けれども、常に切迫からしか新しいものは始まらないという殆ど諦念みたいな予感もあるにはあるのだが。


PM3:00

冷房を除湿に切り換える。間。霧ヶ峰という名の三菱製のクーラーの本体の電波受信具合は予てからずっと微妙なタイムラグを誇っており、どのボタンを押したとしても、必ず1秒間の沈黙を強いられてしまうのだ。こうしたタイムラグの原因を突き止める衝動よりも、それが招く心理的影響に思いを致さざるを得ない自分という存在…アインシュタインの特殊相対性理論を証明する為ジェット機にアルミニウムの原子時計を載せてその誤差を測定するという実験が本当に行われたかどうかその詳細は定かではないが、仮にそれが本当に行われたとした場合、その誤差はほんの僅か、たしか1秒の何分の1にも満たないと聞いたことがある。タイムラグ。おそらくは解決可能なただの電波送受信の不具合か然るべき何らかの機能不全に起因するそれは、しかし、ぼくの脳髄を経由するや重力によって捻じ曲げられた内向的な時空のように、アインシュタインも失笑のふざけた理論を構築してしまう。

それにしても、この暑さは尋常ではない。西瓜を食わないかと呼ばれたのに生返事をしたままでいたら、家人に一寸叱られた。


PM5:17

悲しみ。ひとつ詩を書く。本文が、よいものをください、だけの『よいものをください 』という詩。

激しい自己嫌悪と自責の念。その詩のうしろの空白はそれはそれは白いのだが、じっと目を凝らしていると、微かな細いシャープペンシルでなぞったような輪郭がわいてきてその輪郭が形作るものはやがて1匹1匹の貘となる。輪郭のみのこの白貘はどこかこの世ならざる容姿をしているが、ヤケに人懐っこそうな雰囲気も持ちあわせている。いつしか空白上をゆらゆらと浮遊し始めた貘のうちの1匹がふわっと場外へ遁走したかと思うと他の無数の貘たちもそれに続いた。瀑布のようにあちこちに散らばった貘たちはいつの間にか消えてしまっていた。

フォーラムlogin。私信あり(!)この小さな赤い実が、願わくば、いつの日にか本物の美しいナナカマドの実になりますように。ポイントへのお礼を送る。


PM6:36


炊事場から飯の炊けるにおいが忍び寄ってきて鼻腔をこじ開けようとする。 ぼくは気付かないふりをしているが、いつまでもそうやっても居られまい。飯を食む。すりおろされた新生姜の香りの拡がった口がそうめんをうやうやしく招き入れる。はた、と思う。この世に掛け値なしに素晴らしいものが3つあるとしたら、そのうちの2つはたぶん、新生姜の香りとそうめんの喉越し。残り1つの候補は無限にあるのだが、有力な候補はまあ、石鹸かななどと考えていた。


PM8:53

フォーラムチェック。私信なし。癖だなこりゃ、とだいぶ反省する。

ちょっとだけぼくの脳の間取りの話をしたい。やはりどうしたって3部屋は欲しいから、無理を押してそこはまず3DKで決める。それぞれの部屋の広さはほぼ同一で、押し入れの有無などによっていくらか違う程度だ。大きい長方形を想像していただきたい。そこにまず、1本の横線をひく。そして次はクロスさせるように横線の真ん中のあたりに縦線を入れる。すると、勿論4分割されたパーティションが出来上がるというわけ。右下の1つの長方形は生活その他に必要な部屋だからとりあえず黒く塗り潰しても構わない。

さて、残った3部屋だが、まず左上からいこうか。この部屋はまず創作の部屋だ。おいおい創作とは大袈裟だなと思った方、あなたはたぶん正しい。けれども、便宜上こう呼ばせてくれたらぼくはだいぶ助かる。その部屋の住人はいつも何事かを考えていて、色んなものが中途半端なまま机の上や床に投げ出されている。何もしていないのだが、その住人は何もしていないことにさえ、何かを見つけようともがいているみたいだ。滑稽に見えるが本人はいたって真面目。深刻な顔をして、時には頭を抱えその辺をうろうろしている。警句の本だけは手放さない。

右上の2つ目の部屋。この部屋の住人は常に汗を流そうとしている。考える事といったら政治や経済の動向、上役への中元の心配、最近巷で流行っている伝染病のことなどだ。多岐にわたるものの、それはどれもこれも実質的でしっかりとした輪郭を有している。この部屋は労働と生活の部屋だ。

3つ目の部屋。これが1番不思議な部屋である。それは、無意識の部屋だ。この部屋の住人は一定ではない。つまり、ある時は臆病な小学生、またある時は還暦を迎えた主婦。かと思うとスタイを付けてニッコリ微笑む赤ん坊という風なのだ。しかも内装だってしょっちゅう変わる。ドアを開ける度に違う部屋に来てしまったいう錯覚に陥るが、この部屋はたしかに無意識の部屋である。この部屋では殺人事件は日常茶飯事だし、精通や初潮もひっきりなしに起こる。ここでは優しさがじつは憎しみだし、親切が充分トラウマとなり得る。虚しいという叫びは手淫への屈折した導きだし、愛し合う恋びとたちの囁きは母親への悔悟を伴っている。戦争と日常と残酷と幸福が共存しながらもその部屋ではそれら全てが1人の赤ん坊の排泄物の中に存在している。赤ん坊もまた、次の瞬間には末期のカリエス患者にもなり得るし、臭気は香気であり、虚無はすなわち涅槃である。

ぼくはかつて若い時分にこれら3つの部屋の間仕切を打ち壊そうと画策したことがあった。統合を目指しクーデターを起こそうとプランを練った。しかし、それは失敗に終わった。今は、それぞれの部屋の住人とできる限り気楽(そして誠実に!)に付き合っていくことが、ぼくにとっての一大事業となり果てた。いや、なり得た。フォーラムチェック。私信なし。ため息。


PM22:16

今日は疲れた。早いけれど、もう寝ようかと思う。どんなにむなしい1日だって打ち続く無限ではない限られた何日かのうちの、1日。ぼくは瞑目し遥かな闇に汽車≒電車の音を聞く。おののきと不安。心音…。胸に引っかかったままの枯れ枝が風に吹かれて頼りなさげに揺れている…あと少しで落ちそうになっているそんなイメージ。


PM22:18

フォーラムチェック。私信あり。返信はまた明日。夜の闇に照らし出された画面の中でそれは赤く浮き上がる励ましのように、存在していた。

おやすみなさい、皆さん。シャットダウン。






散文(批評随筆小説等) 8月14日。未日記 Copyright 道草次郎 2020-08-15 16:47:10
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