壊疽した旅行者 一
ただのみきや

破傷風

この世界を憂い悲しむ心は知らぬ間に
蜘蛛より細い糸で繋がっている
見たことも触れたこともない天の何処かと
教育によって与えられたのではない最初からあった
見えない傷口のような器官をひりひり欹てて

楽天家の魂は地上の地獄を彷徨っている
互いの重い荷物を上手く隠して軽やかに
自らの血の足跡で印を押し詩文を諳んじるように
人生を綴る 相手のいない誓約書へと
萎えて開かない翼を濃い影として引きずりながら

自分で飼いはしないが
熱帯魚の水槽を見るのが好きだ
静かで美しい観賞に耐えうる世界
わたしが神なら人など創らなかった
ましてや自由意志なんて




離れた場所から

少女像が本物の少女だったら
ディズニーランドへも行きたいだろう

少女像が本物の少女だったら
可愛い服を着てメイクもしてみたい

少女像が本当に少女だったら
親のお仕着せの価値観に反抗もするだろう

「大人たちの勝手な都合で人前に連れ出しやがって
挙句の果てに否定かよ
だれも産んでくれなんて頼んでねえよクソッタレが!

少女像が少女なら
怒る 泣く 暴れもする
家出もすれば手首も切る

だけど少女は像
過去のままで今を未来永劫
記号化された彼女は もう
無垢な目で鑑賞されることはない
すっかり蔦が覆っている




一つの満ち欠け

もし全ての人がいなくなったら
鳥は存在するだろうか
鳥を鳥と見分ける目も認識する知性も存在しない
鳥という呼び名も概念もイメージもすでにない
人がかつて鳥と名付けた何かが存在するのか
しかし存在という言葉も意味も人と共に消え
自然物か人工物かの区別すらとっくになくなった世界
知識も技術も
愛情も財産も
みな同じ茫漠とした虚無を構成する塵やガスのよう
言葉も名付けも感動も
想像できる全て
推論し得る全て
ともかく思考感覚の全てが
その思考感覚する人の完全な不在によって煙と化す

わたしが世界の中に在るのか
世界がわたしの中に在るのか
いや「わたし」など存在すらしていない
そもそも「世界」も存在しない
つまり問題に対する解答は
「問題など最初から存在しなかった」

「どうぞ薬をお飲みなさい 効き目はありませんが 」
「病なんてありませんよ ただ痛くて苦しいだけです 」

この種の行き止まりの前で
わたしは神を想う
人間の創り主にして全知全能
永遠から永遠まで在って在る者の眼差し
その不変不動の価値基準
もし人間が神を発明したと言うのなら
なんと偉大で便利な発明だろうか!




免疫

出歩く子供の少ない静かな春
強い風が吹いていた
新参者が欠席しても
葬列は進み
例祭は執り行われる
幼子のように風は走り
不意にそこで老いたのか
影と光の市松模様
かごめかごめの思考の中
とても懐かしい
そんな死
濡れるような燃えるような
青いネガフィルム
寝落ちするように出かけて





秋に海を渡った羊の群れが
春の牧童に連れられ帰って来た
海より青い草原
窓枠の空を横切って
芯まで白い毛だけの
太陽に膨んだ羊たちが
群れ連なって
地平の向こう山々を覆う
風の呼び声は透きとおり
遠く 力強い





              《2020年3月21日》









自由詩 壊疽した旅行者 一 Copyright ただのみきや 2020-03-21 16:19:44
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