壊疽した旅行者 ニ
ただのみきや

旅行者

その人は鶫のように帰って往く
旅行者だった
ほぼ全身が包帯でぐるぐる巻きになり
血と膿が染みている
新しいものに代えようと包帯を解けば
汚れた包帯は延々と続いて
やがて
途切れると
後には何も残らない
旅行者は何処へいったのか
いったい旅行者は誰だったのか
誰が見たのか 誰が解いたのか
包帯が風にたわみ地平遠く伸びて往く
その人は旅行者だった
鶫のようにやって来ただけの




踊りましょう

朧気な春
手品のように雪は消えた
すると忘れ去られた手紙や
古い雑誌の切り抜きのよう
去年の落葉の擦れ声が
まだ若葉一つない並木の下の
乾いたアスファルト
飛んだり跳ねたり転げたり
風と一緒にはしゃぎ回り
擦れて砕けて塵へと変わる

馬鹿みたいだろう
死にそこないが一人踊っている
だけどもう素直に誘われるまま
自分にしか見えない手を取って
なんのしがらみもなく
軽やかにステップして
舞い上がってスピーンターン
世界が眩暈を起こしている

生まれる前から持っていた秘密
今年生まれる若葉だって来年には
悟ったように笑っているだろう




小さな花束

人任せにできず何かと先回りして口を出し
せっかちだから自分で動いて片付けてしまう
「頼れる人」「面倒見の良い人」とも言われるが
五月蠅い奴と煙たがられもして
全てが血液型で片付けられることも珍しくはない
上手に操るタイプからは
扱いやすい組織依存型としていいように利用される
が それはそれでうまく噛み合うもので
飲んで愚痴ってもどこか誇らしげだ
利用されることと頼られることの区別をことさら
つけようとはしない無意識の防衛本能か
暗黙暗愚の代償としてのささやかな幸せを
誰もが追及する権利を持っているのだから
他者を踏み台にする権利はなくても現実は厳しいと
二十四時間社内総家族化に
花も咲かないまま腫瘍のような実を膨らませて
虻や蠅の羽音がいつから聞こえ始めたか
ページを捲り返せば
死にたくもなる わけもなく
誇り高く生きているみなさんへ
小さな厭味の花束を




石ころ

その頃わたしたちの遊びはもっぱら石拾いで
色や形に特徴のあるものを探し出し
動物や兵隊に見立てたり
例えばとても抽象的に
青みがかった石を「湖の女神」と名付けたりして
互いに新しい石を見せ合っては
その名前や物語を話して遊んだものだ
わたしのイマジネーション
様々な感性はその頃に養われたものだろう

ある日わたしたちは一人の少年と出会った
遠い街からやって来たと言う
すぐに一緒に遊ぶようになったが
彼の持っていた石にわたしたちは目を奪われ言葉を失った
彼の石の兵隊は本当に兵隊で
巧みな細工で石が刻まれていたのだ
彼の父は宝飾を主とする優れた石加工の職人で
その子の持つ石の獅子は鬣のある本物だったし
神話の神々にはちゃんと目鼻があり衣服もあった
以来わたしたちの石は単なる石ころになった 
もはや何の形にも見えない 
どこにでもある不格好な石
すっかり技巧の魔性に心を奪われた子どもたちは
それを真似て石に鑿を当ててみたり
親にねだったりもした
技巧を習おうとする子さえもいたが
すぐに諦めてしまった
簡単に身に付くものではないし努力しても
皆同じに会得できるわけではない才能や資質もあった

いつの頃からか子どもたちは石への興味を失くし
もっぱら話題は金儲けと異性のこと
酒を飲みながら子どもの頃の話などすると鼻で笑う
それが年相応のやり方だったのだろう

あれから数十年が過ぎた
わたしは今も石を持ち歩いている
相変わらずの不格好な石を
「この碧い沈黙は
時を止めた悲しみの叫び
湖の冷たい底に眠ったまま
どうか掌で温めて
愛の記憶が蓮のように還るまで 」
人の心の隙間に入り込み
幾らか金を恵んでもらう
ある者はわたしを石ころ詩人と呼び
ある者はわたしを石ころ詐欺師と呼ぶ
わたしは石ころ遊びがやめられず
あの日の嫉妬を抱えたまま
子どものまま老いてしまった
たんなる浮浪者だ




原体験

ジュエリーボックスの中
真珠は不思議だった
なぜ自分だけが月に惹かれるのか
宝石たちはみな
自分が一番美しいと月になど目もくれず
女の胸や耳に纏ろう星のよう
真珠は仕舞われている時でさえ
否むしろ箱の中
ひしひしと感じている
呼ばれるように引かれるように




白紙の世界

わたしは言葉を使う
言葉には定まった音と意と形がある
丁度よさそうなものを見つけ
ヤドカリみたいに拝借する

想像できますか
言葉も名前も存在すらしない世界が
思考全てが言葉になってしまう人に
どこまでもいつまでも白紙のままの




                    《2020年3月29日》









自由詩 壊疽した旅行者 ニ Copyright ただのみきや 2020-03-29 15:12:58
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