dharma,words「法語カレンダー」
アラガイs


苦行とは、なにをもって苦行にも値するのだろうか
ほんとうの苦しみとは如何なる場合を指し示すのか
またよろこびとは、救われることのみにおいて真実なのだろうか。
他者とは己自身とは

何気なく吊していた小さなカレンダーの表紙に眼がいった。
これは母親の三回忌法要のときに頂いたもので、その表紙に書かれてある言葉をよくよく眺めて読んでみれば、あれ~なんと難しいことが書かれてあったのだ。

「悲しみの、深さのなかに、真のよろこびがある」2020法語カレンダー真宗教団連合

悲しみの
深さのなかに
真の
よろこびがある
ん?真の、よろこびとはなんぞや。それも悲しみの深さのなかにとは
さっそくウィキで調べてみたりした。

「悲しみの深さのなかに真のよろこびがある」瓜生津隆真(うりゅうずりゅうしん)本願寺出版社

浄土宗派住職の解説もあった。
いのちの光に照らされて~
ん?どうやらこのなかに書かれてあるよろこびとは、幸福論のようなものであろうか。
書かれてある幸福論とは「無碍の一道」親鸞聖人による法話の解説のようだ。
よろこびのなかにも、一時的な喜びや満足また絶対的なよろこびと、相対的なふたつのものが考えられるという。
どうやらこの真のよろこびとは絶対的なよろこび、つまり「無碍の一道」のことのようである。

わたしはこうした教示を読むとつい考え込んでしまう事柄がふたつある。
肉親や住居財産のすべてを失った大震災の被害者たち
もう一方で自らのいのちを神に捧げて報いる自爆者たち
そして現実に存在するのは悲しみに打ちひしがれるものたちだ。
怨み怨まれ救い救われる
様々な教示が指し示めされる
それで救われるものか、などと思し召しを乞う
なぜ乞うのだろう

「悲しみの深さのなかに真のよろこびがある」

深い悲しみ
真実のよろこび
いのちの光に照らされて

あたまの中だけでは紐解けもしない
、至上の、なんと奥深い言葉の輪廻だろうか。









自由詩 dharma,words「法語カレンダー」 Copyright アラガイs 2019-11-26 04:13:47
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