隘路(普遍的な絵の中で)
アラガイs


「快晴だ。空は海は、街も自由に、妖しく、
オパールの中に閉じ込めた景色
、なのにいつも時間を気にしているのは変だろう。」

ということで車を奔らせてみるのはいつものことだが、対向車から見えてくる表情をいつも気にする自分がいる。何故か弱気と内気が格闘し嫌気が相手にも働いてしまう。上から目線で見たいのか、これには困ったものなのだ。
カーラジオの耳を通り過ぎる声を聴いていると、つい閉じた唇が暇をもてあましてCDに切り替える。時折顔を左側に背けては大きな声を挙げる。そうして歌いたくなるこれもそのようなときの必須アイテムで、対向車からやって来る相手には気づかれないという、不必要にちょっとした気づかいなのだ。
しかしね、こうも毎回同じ曲を流しては車を奔らせているという行為にも進歩は感じないね。とはいえ、聴きたいような曲はあっても手元に置いておくスペースには限りがある。車内という空間の狭さにはどうしても不便さはつきもので、だからこそ張り付いた絵のように頭の中では外部の景色と一体に成れるのだろう。
そう、わざわざ移動するのは愛でるためだけじゃない。見慣れた景色の中に溶け込むということなのだ。

「ほら、海が広がって見えてきたよ。水平線に沿って窓の端と端から手足が延びていくだろう?晴れ渡る空の向こうというよりも線は平行線に延びているだけだ。何かを見ているようで実は何も見えてはいない。透き通る石の痕跡。それは過去という記録を辿っているんだね。きみはいつ生まれたのか、誰を語りそして何を描き死んでいったのか、すべてあなたにはお見通しなんだろう……」

海岸線は我々の祖先が新しく作り上げた肌地。繰り返し汗と涙に支えられてきた復元の路。本来は打ちつける歳月の波に削られ再生と消え去るはずだった。苔生した岩と深く朽ち果てた木々群生の、いまを通り過ぎて行くのは誰だ。
気づかないうちに長々と遅い車の後を追いかけていたようだ。快晴の海という枠の外側を見ながら少し気分は苛々してきた。ここに来てまで何もかも休めたくはない、止めればいつもの停滞に巻き込まれてしまうのはわかっている。
鼻歌から罵声を浴びせたくなる。仕方ないので見えてきたコンビニで車を停めることにしよう。
悪意もないのだろうが、ああ、またしても誰かに気づかいをすることになる。ぼやけた輪郭線からはっきりと色が見えてきた。
他人のことなどどうでもよいのです。しかし、もう遅い、これも運命なのだと。









自由詩 隘路(普遍的な絵の中で) Copyright アラガイs 2019-11-15 02:10:34
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