人間空洞説(オオカミ少年は人間なのか?)
マサヒロK

人の子供を人が育てると、人になる。犬の子供を人間が育てても人間にはならない。しかし、犬に育てられた人間の子供は、決して人間のようには育たない(多分)。昔からまことしやかに、都市伝説のようにその存在が語られる「オオカミ少年」。いわく、オオカミに育てられた子供が発見されて、その子はオオカミのように育った、四足で歩いていた・・・と。
さて、仮定をしてみるが、同一人物である赤ん坊がいて、片方の運命ではその子は人間に育てられ人間になった。片方の運命ではその子はオオカミに育てられてオオカミのようになった。人間になった子、オオカミになった子、はたしてどちらが本当のその子なのか?人間が本当なのか、オオカミが本当なのか?、いやいやその両方、いやいやそのどちらでもない・・・これはもう人によって解釈の仕方が違う、答えのない質問のようにも思える。
ひるがえって、人間とは何か?それはただ単に、外見上の話なのか。人間のようにふるまうから人間なのか。人間の教育をされ、人間的な行動をするから人間なのか。それでは、人間としての教育を受けずに育った者は人間ではないのか。そうなると、人間か人間でないかの違いは、見た目の違いだけになってしまうのか?そもそも「人間」という定義は何なのか。本当は「人間」などというものは最初から存在しないのではないか。それはただ単に何かの状態を示すだけの言葉であって、人間・人類などというものは存在しないのではないか?神様に育てられた子は神様になってしまうかもしれない!?となると、人間とは、何にでもなれる器のようなものかもしれない。器に何が入るかで何者か決まってくる。器の内側には何もない。ただの空洞。
「何もない空洞」というところに、存在を解き明かす鍵があるのではないか、と私は感じているのですが、いかがでしょうか?


散文(批評随筆小説等) 人間空洞説(オオカミ少年は人間なのか?) Copyright マサヒロK 2019-05-02 22:46:08
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