【批評ギルド】原口昇平「とりあう手」について
田代深子


「とりあう手」 原口昇平


こぼれた兵隊のおもちゃがあって

はらはらとねじがまかれているこの世の誰にも知られないように手にとる手をとる

写真にとられるのをきらった友人の顔に似ている朝に

つづいている内乱で右足を失った兵士と彼の仕掛けた地雷で左足を失った少女があるとき出会って肩を抱き合いながらそれぞれ一本ずつしかない足を交互に前へ踏み出した」

物語ははじまることも終わることもなくこぼれているのをひろいはじめるその

はらはらとねじをまくこの世の





 物語はどこから生まれてくるのか。
 たとえば〈歴史〉も物語である。そして〈歴史〉=物語になりえなかった、こぼれおちていった出来事が、この世の出来事のほとんどだということも、あながちな修辞ではない。物語を生みだすのは語りうる者にだけ許された特権だとする人もある。それを暴力であると。
 暴力かもしれない。「右足を失った兵士と彼の仕掛けた地雷で左足を失った少女」は〈歴史〉=物語からこぼれおち、「この世の誰にも知られない」、忘却の暴力にさらされる。しかし物語る者は誰か。さもしくさびしい者同士がわずかに時を共にすれば、そこに物語は語られる。家も宿もなく火だけを囲む夜が白むころ名も知らぬ者同士がしたたか酔って、衝くような悲しみに押し出され「俺の知ってるやつの話でね…」上記の詩を、この言葉の後に続けるのもいい。だがその物語からは、兵士と少女のほかの、やはり何かがこぼれおちているだろう。なにかを選んで手にすくいとれば、必ず指の隙間からこぼれるものがある。いくらひろっても。
 いささか物語する者を容赦したい心持ちがある。それはわれわれ自身のことであるからだ。待て、物語は、傲慢ではなく絶望から生まれてくるのだ、と。物語はどれもよく似ている。それ自体が自律し、人をして語らしめるかのようだ。だがそうではなく、われわれの、結末を想定し留保なしの意味づけを行わなければやっていけない、という絶望が、かなしく美しい物語を生みだす。変えることのできない過去に向かって、それを意味づけする作業をやめることができず、〈歴史〉が生みだされるのと同様に、われわれの語る思い出話とあらゆる物語は「そういうものだ、そうでなければ」と思いたい絶望が生みだしている。だからわれわれはかなしく美しい物語をこよなく愛してしまう。むしろ、つくりあげた物語の円環の中に隠れ棲もうとするかのように。
 だが一方で、物語がなければやっていけない、その中に隠りおりたいという安逸への憤りが、自ずから起きることもままある。安易に削り落とすなかれ、整然と語るなかれ、閉じるなかれ。移動し、ずらし、脱臼させ、固着しようとする意味をつき崩し、自らを脅かしても、ひろいきれずこぼれおちていく外部を、物語より〈他〉なるものを常に志向/指向/思考せよ。絶望だと? 甘ったれるな。物語の地平の向こうにある〈他〉を指向するとき、われわれの語る言葉は無惨なものだ。とりとめなく、なんども前言撤回し、謝罪し、言い訳し、結末など思いも及ばず七転八倒する。矛盾だらけで一貫性も統一感もあったものではない。そして徹底的に〈他〉なるものたちに打ちのめされ続ける。…そこにあるのは切望のはずなのだが。

 さあ。
 「とりあう手」は、かなしく美しい物語を語る者の詩である。こぼれおちた、傷ついた者をひろいあげ物語る者がいて、彼自身もまた傷つきこぼれ絶望しており、かなしく美しい物語を求めずにはおれない。そして彼もさらなる入れ籠の、かなしく美しい詩の中に隠る。ひたすらに閉じていこうとする幾重もの円環。だが、

  写真にとられるのをきらった友人の顔に似ている朝に

この1行はある。「とる」という能動の動詞が、受動「とられる」となり、しかも友人が「きらった」ことを言う。物語にとりこまれることをきらい、語ろうとする者の視線から顔を背ける友人=他者「に似ている」おそらくは同質の〈他〉である「朝」の中で、物語は語られている。どこまでも〈他〉である「朝」だ(朝は物語の地平の向こう側からやってくる)。この1行によって、閉じた円環にはかろうじて綻びがあく。いやむしろ、いかんともしがたく物語は綻びなければならない宿命にある。なぜなら〈他〉がなければ物語はない、〈他〉こそが物語の素材ではなかったか。物語は〈他〉という綻びを、生まれながらに内包している。そしてその内なる綻びから風化はすすみ、物語だったものもやがてはらはらと、再び崩れこぼれおちるだろう。ひろっても、ひろっても。
 繰り返し、性懲りもなく、おもちゃを玩ぶ無心で、われわれは物語を語っている。書くということは、その無心な絶望を刻み記してしまうことなのだ。自らに絶望を知らしめよ。そしてその先に生まれてくるものは、物語なのか、そうでないものなのか。



2005.3.12




散文(批評随筆小説等) 【批評ギルド】原口昇平「とりあう手」について Copyright 田代深子 2005-03-12 11:57:04
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