【プレ批評対象作品】あほん『釣り人』 について
田代深子

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 なにはともあれ難点を言わなければならない。前後があまりにも分断されている、ということだ。1連目と2連目に有機的なつながりがまったくなく、かみあわない両連が相殺を働き、そのため読者は全体を貫く印象を持つことができない。作者に勧めたいのは、両連をそれぞれ別作品として仕上げるか、もしくは明確にシークエンス扱いすることである。試みとして以下のように、連の間を5行あけ中央に「*」など入れてみるとよい。たったそれだけのことで相当に印象が変わるだろう。
(作品改編をここで勝手に行うのは本来まずいと思うのだが…まあちょっと)

- - - - - - - - -


「釣り人」




白い波がうねり
風がストロボして
まぶたの上をながれていく
皮という皮
その表面だけがしめっている
水波がひっそりとみち
生ぬるい缶ビールと
おなじ水位になったような
軽薄な酔いで
堤防からほうったルアーの
浮きのまわりだけ
しんとして
欲がある


  *


ポケットに
女の髪があまっていたので
そいつを釣り糸にして
いどんだのだが
これは釣れるものではない
それでも髪の毛は
毎秒のびつづけ
浮きの呪詛をきくともなく
ひとつづきほうり投げれば
テトラポットの中の、もうひとつの潮が
さいげつの砂をくみだし
女の髪はのびていった
腐りながら、百年成長した白さ
きれぎれと、のびおちる
雲よ


- - - - - - - - -

 開けてびっくりである。たんに1連目と2連目を、それぞれ腰据えて読めるというだけのことなのだが、ずいぶん味わいが深くなったものだ。いささか強引に、とりあえずこれで読みなおしてみる。

 1連目。

  浮きのまわりだけ
  しんとして
  欲がある

釣りを能くしない者が見る釣り人の静まりは、むろん期待を押さえ込む力の働きによる。期待が騒げば水面はすぐにも反応し、魚たちの知るところとなってしまう。力みを伝えてはならない。
 しかもこの詩を読むと、釣りする人は、おのずから水の中にいるようでもある(生ぬるい缶ビールと/おなじ水位になったような)。水の中というよりはちょうど水面の上と下に身をわたしている、つまり〈浮き〉のように。凧揚げする人が実は自ら宙に浮いているのと同様、釣りする人は水面に浮いて、抑え静まり魚を待っている。
 もちろん欲はある。この欲は、何かが針にかかり薄い酩酊から突如として水面下に引き込まれたときには、瞬間なりと脅えかえるのではないか。先を予測するものではない、わずかな期待を押しやるように諦めようとする隠った欲であり、しかもその抑制をも楽しみとしているたちの悪さだ。それに自ら気づく。

 2連目。
 釣りする人が浮きに移相して、しかもそれは欲である。そこで女の長い髪が糸になりうる。

  これは釣れるものではない

そもそも釣りではなくなってしまうのだ。これで一時的には、浮きは水面下に引きずり込まれる危険から救われるだろうが、むしろ水上につなぎ止める女が問題だ。気づいた途端に生々しさから逃れたくなっている。
 しかし髪は潮に向かってのびおちつづけ、浮きは、まさに浮いている。水面にか、あるいは未だ着水することなく飛び続けているのか。浮きの向かうべきベクトルというのは決まっており、もちろん下へ向かう。浮きながら、女の髪を引き、下へ向かう。ここでも諦めながら、雲に憧れ呼びかける。

   *

 ところで「詩にするべきテーマ」という言葉をきいた。詩にすべき題材など決まっているわけではないし、だから何でも詩にすることは可能であるし、それどころか「何もかもが詩である」という乱暴な修辞も可能ではある。しかしもちろんこれは言い過ぎで、詩は、詩的であるという判断を読者が経験によって為し、初めて詩となるにすぎない。だから「詩にするべきテーマ」がどのようなものであるかは、誰もが言うことはできても、他と同定することはできない。同定することはできないながら、われわれはやはり経験によって大雑把な共通認識を措定し、詩ということを語っているだけなのだ。
 ということを、断っておく。

 さて作品「釣り人」は、充分に詩的な題材であり、充分な叙情を醸して書かれている、ということができる。用いられる語は淡々としてけれんみがなく、そっけないようであるがよく選ばれ、よく考慮して配置されている。釣りすることと同様、表現する欲を抑制しながら書かれていると言ってよい。まだ水上にだけ視点があるのだ。それは休日に、光る波を眺めビールを飲む時間の描写であり、実体なく思い出されるだけの女を想起する時間である。
 魚はかからない。水面より下のことが何も思われていないのである。だから引き合う力もなく浮いていられるにすぎない。これはこれで詩となるにはいい瞬間なのだが、だが「欲がある」という一言を持つならば、欲が導いていくはずの黒く冷たい水面下に、せめて想念だけでも潜らせてみてほしいものだ。そしてそのあと見渡せば、晴れた光る海は、なおしんと静やかであろう。


2005.2.27


散文(批評随筆小説等) 【プレ批評対象作品】あほん『釣り人』 について Copyright 田代深子 2005-02-27 09:35:54
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