チリ散りになったんだけどカメラ目線で
末下りょう


南米、チリ共和国。国の標語は(理性によって、または力によって)
そんなやたらほそながい形をした国の北部の小さな町で炭鉱夫をしているエンゾさん(仮名)は立派な口髭と張り出たお腹を揺らしながら毎日せっせと銅を集め、一日の仕事が終われば仲間と酒場でその日の無事を祝い、水色の壁をした家では愛する妻が夕食の支度をしてエンゾさんの帰りを毎晩待っていた。
でもエンゾさんには秘密があった。エンゾさんは酒場の若いウェイトレスと浮気をしていた。鉱山とワイン畑しかないような小さな町でおこる浮気の噂は必然的に妻の耳にも届いた。ある日、妻は夫をやさしく問い詰め、比較的簡単に浮気を白状させた。エンゾさんもこの感じなら一度くらい許してもらえるなと思った。そう思ってしまった。(知らないのに知っていると思い込んでいること)エンゾさんは愛する妻の気性を知ってるようでほんとうは知らなかった。(法廷で会うまで女の本性はわからない)と言った人がいるが、エンゾさんは裁判所には行ったこともないのでそれもしょうがない。
翌る日、夫が仕事に出掛けると、妻はすべての食器と家具を弟たちのトラックに積み上げて出ていった。テキトウな道端に食器と家具を一旦降ろすと妻はまた戻り、弟たちに家のすべてのドアと窓ガラスを外させ、さらにトタン屋根も片っ端から剥がさせて去っていった。エンゾさんがその日、真っ直ぐ家に帰ると、水色の壁だけがエンゾさんの帰りを待っていた。屋根のうえの用事はすべてエンゾさんの持ち場だったが、その持ち場はすっかりなくなっていた。テレビはあるが、それを観るためのソファーはない。冷蔵庫はあるが牛乳を入れるコップがないので、パックから直接飲んだ。それからエンゾさんは口髭を白くして動物番組を立って観た。
エンゾさんと妻とのあいだにあったものはきれいになくなっていた。いま二人のあいだには水色の壁しか残っていなかった。いや壁のなかにエンゾさんだけがとり残された。エンゾさんは動物番組の象を観ながら、象は見ているぶんには楽しいが、飼う気にはならないなと思った。
(浮気はそれが浮き彫りになればただの裏切りです)と妻はその後、地元の新聞記者に話した。エンゾさんは残された水色の壁に手をあて、麦わら帽子をかぶり、自慢の口髭の下に立派なお腹を突き出してカメラ目線で地元記事の一面を飾った。(これじゃー風邪ひいちゃうよ)というコメントとともに。


(出会いと交換によってなにが生み出されるか。それは誰にも予想がつかない。ただ、これまでと異なる多様性が生み出されることだけは確かだ。その多くは新しい環境に対してあまり有利に働くものではないだろう。あるいは有利にも不利にも働かないかもしれない。しかし遺伝子の交換によって、ほんのわずかだけ変化がもたらされることがある。少しだけ乾燥に強い。僅かだけ凍結に耐えられる時間が長い。エネルギー変換の効率がちょっとだけ優れている。 あるいは季節のよいときであってもローカルな環境変化が急激に襲ってくることもあるだろう。その際、シャッフルを受けた遺伝情報の組み合わせからほんの僅かながら、その試練をかいくぐって生き延びる者があればよい。生命は常にその危ういチャンスに賭け、そして流れを止めることなく繋げてきたのである)ー


based on a true story.


散文(批評随筆小説等) チリ散りになったんだけどカメラ目線で Copyright 末下りょう 2015-07-26 06:08:18
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