徒歩
dopp

めっちゃ歩いていた。東京まで30㎞だった。帰船時刻までに帰れる可能性は皆無だった。自分が間違いなくあらゆる点で自分らしいということに得心がいっていた。野良猫の匂いのする文章が書けると思った。詩になると確信していた。消火栓のマンホールが黄色かったし、鉄塔には飛行機が重なっていた。問題はどこで右折するかということだった。歩きながらうにゃおおと唸っていた。我ながら猫だった。完璧な一発芸だったし、さっきすれ違ったおじいさんには、突然「背があっていいねえ!俳優さんじゃないの?俳優になるといいよ!」と言われていた。ありがとうございますとにこやかに答えながら速度を緩めずに歩き去ったから、オーディションで猫の鳴き真似をするのは決まったと考えてよかった。あとはうぅあおおぅあとうめき叫びながら泣きながら剣を振り回せば舞台俳優の頂点に立ったも同然なのだ。横道の坂の住宅街を見上げながら満面の笑みで微笑みながら高速で歩いていた。部活帰りの女子中学生の横を通り過ぎた時に、ひっと軽く悲鳴を上げられたくらいだから相当な速度であったに決まっている。もう三時間は歩き続けていたが、どんどん速度は上がり口元に笑みが浮かんだ。最高に一人だった。誰も僕の行く手を遮ることはできない、このままどこにも辿り着かなければ、どこにも行かなくていいのだから、これ以上の事はないと言ってよかった。ショルダーバックの下の肩紐が蒸れ、Tシャツを汗で濡らした。日陰の中で乾かしながらどこまでも行くのだ。最早目の前には何もなかった。二つ川を越え、その度に橋から飛び降りる事をシミュレートした。ペヤングの容器が美しく浮かんでいた。僕はどんどんハイになっていった。猫だ。猫がいる。今僕の隣に座ったのだ。背中を向けて。かわいい。かわいい。行ってしまった。僕はあの時、細道を結局右折して、鶴見区に辿り着いた。そして生麦駅だった。ゴールだと感じた。死んでもいいと思った。死んだと思った。最高に幸福だった。そうして今ベンチに座って、木の枝を見上げているのだ。

追記 僕は本当に、死なせてくれてありがとうございますと何度も頭の中で晴れやかに呟いていた。


散文(批評随筆小説等) 徒歩 Copyright dopp 2015-07-22 20:32:30
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