今夜は何を召し上がりたい?
木屋 亞万

「お前は死ぬことだけ考えていればいいんだ」豚の頭を撫でながらそう呟いた。いずれ僕に食べられる運命なのに、憐れな豚はすごい食欲で飼料を食っている。

どうやって殺そうか。餌をやりながらいつもそのことだけ考えていた。

水の中で溺れさせようか。溺れさせるにしても割と大きく育った豚を沈めるほどの水槽はなく、ぼくがこれからも毎日使うだろう風呂で豚を殺すのも気が進まない。そもそも頭を水につけているときに抵抗されたらひとたまりもない。
ではやはり刃物で。そう考えては見るものの、気が小さい私にとって、血が噴き出したり、内臓が出てきたりということになると冷静でいられる気がしない。これは殺したのちは解体せねばならないので、いずれは越えなければならない試練だが、目の前で桃色の短い毛に覆われたこの生き物を骨と肉に切り分けていくというのは、蚤の心臓の僕にとっては蟻が象を食べつくすような途方もない努力が必要だ。

豚をいちばん楽に殺せるのは毒を飲ませるなり打つなりするいうことだったのだが、殺したあと僕がその肉を食べることを思うと、毒が肉に残る可能性が高く危険だ。棒で撲殺するという手や、生きたまま小屋ごと燃やすなんてことも、考えたことは考えたが豚がひどく苦しむだろうことを想像すると、あまり良い殺し方ではないように思えた。

懸命に冷酷になろうとしても、育てた生き物を殺す罪悪感は消えず、別にこのまま殺さず、世話し続けるのもいいのではないかとすら思えてきたし、僕の中の正義感はそれが一番正しい選択だと言ってきかないのだった。とはいえ、腹は減るし肉は食べたい。野菜や葉っぱを食う虫みたいな生活はもうこりごりだ。それに豚が育つにつれ餌は増え、私の食糧を削って与える必要すらでてきた。このまま育てれば10年以上この豚は生きるだろう。豚を殺さなければ、いずれ私の首が絞められていく。

豚の頭に袋をかぶせて、縄で首を絞めることにした。袋を顔にかぶせたのは、死ぬ時の苦しそうな顔をみたくなかったからだ。首を絞めようと縄を首に回したが、身体を押さえられることに抵抗するので縄で固定し、結局手で首を絞めた。やはり刃物で殺すべきだったと何度も後悔した。泣きながら体重をかけて首を絞めた。豚はひどく鳴いていたが、やがて鳴くのをやめた。まだ死んでいないはずなのに、抗う力もなくなり静かに僕に身を預けてきた。これまで毎日餌と水を与え、身体を洗い、糞尿を片付け、世話してきた豚だった。私に懐いている様子もあった気がする。近づくとこちらをじっと見つめていたし、小屋を片付けているときは離れ、餌をやる時には傍に寄ってきた。途中から、私が頭を撫でるまで餌を食べないで待っているという暗黙のルールが豚と僕の間でできていた。そして頭を撫でながら僕は言うのだ。「お前は死ぬことだけ考えていればいいんだ」

豚は死んだ。解体していく過程でたくさんの血が出た。頭を取り、皮を剥ぎ、内臓を取り除き、骨と肉を切り分けた。血の一滴まで捨てずに済むようにし、食べられるところはすべて食べた。当初恐れていたほど、血への抵抗感はなく、泣きながら解体した肉が火にかけられ、火が通っていくにおいを嗅いだ途端、口の中によだれが溢れてきた。塩をかけただけでも、顎が落ちるほどうまい肉だった。

そんなことがあってから私はしばらく豚を食べていなかった。一生食べないでいい気がしていた。だが、秋が去りつつあり、いよいよ冬が始まるという頃になると、無性に豚が食べたくなるのだ。
特に冷え込みが酷い今夜は豚を塩焼きにして、泣きながらかじりつきたい気分なんだ。


自由詩 今夜は何を召し上がりたい? Copyright 木屋 亞万 2014-11-30 02:10:39
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