キッチン
そらの珊瑚

かつてキッチン(というよりは台所)は裸電球で照らされた寒い島だった
幼い私は台所のことを「だいどこ」と呼んで入り浸っていた
窓からは川へ下る坂道と隣家
(といっても音なんか聞こえないくらいには離れていて、おもちゃのピアノをじゃんじゃか鳴らしても誰も咎めなかった)
の煙突と、冬でも元気な竹林が見えた
竹は地下でつながっていて
竹の子は赤ちゃんで
いうなればあれらはみな家族だよと祖母が言う
とにかく竹だけは使いたい放題で、
それらはかまどの火を熾すための空気を送る筒になったり、
ちょっとした野の花を生ける花瓶になったり、
楽器になったり竹馬になったり、
祖父が酒を飲むためのコップになったりして、
そのなかでも私の一番のお気に入りは竹子だった
竹子は人見知りだったので、
私以外の人には出来損ないの人形だと思われていたことだろう
けれど彼女は二人きりになるととてもおしゃべりだった
おばさんにもらったレエスのカーテンの端切れで
スカートを作ってあげたら
「わぁステキったらステキ! マリーアントワネットみたい! 
一生大事にするね」
と くるくる回って見せて
それはもうおおげさなくらいに喜んでくれて
私たちは境遇を確かめるみたいにぎゅっと抱きしめ合った
ぐつぐつと煮えているのは祖母の手作りの煮込みうどん
それは離乳食のようにいつだってくたくたに軟らかすぎて
もはや美味しいのかどうかもわからないほど私の口に馴染んでいたが
竹子の口には合わなかったらしい(竹子は盗み食いの名人だった)
「いったいぜんたいどうなってるの? この軟らかさって度を越してるわ
 そろそろ私は赤ちゃんじゃないって言ったらどうなの
 ものごとにはしおどきってものがあるじゃない」
と言われたけれど
それならば私はなんなのだろう
まさかお姫様にはなれないし、せいぜいがマッチを売り歩く少女だろう
しもやけの手はひどく痒くて時折かきむしって血だらけにする
あわれな少女
祖母の編んだ腹巻はちくちくして嫌だったけど
ずれた愛情といえども宝物だと知っていた私が
どうしておばあちゃんに向かってもう私赤ちゃんじゃないって言えるのさ

かんしゃくを起こして火に投げられた竹子は
とうもろこしの髪は猛スピードでちりちり焦げ
それから爆弾のようにはぜて
燃えて
灰になった

ずっと友達だよって言ったのに
約束にも、しおどきがあるのだろうか

今、私の「だいどこ」は本土とつながって
蛍光灯が隅々までまぶしく照らし
それは影でさえあっけない明るさを持つ
スイッチひとつで料理できて、しかも時短で快適だ
マッチもなければ火もない
いぶられて涙が出ることもない
いったいぜんたい、どうやってうどんを煮込むの? 
と竹子は驚くに違いないだろう
けれども一日の終わりにひとりシンクを磨き上げる時
あの島に吹いていた
とうに失ってしまったと思っていた
愛おしさにも似たさみしい煙がよぎっていく

みすぼらしい私の竹子
私でもあった竹子





自由詩 キッチン Copyright そらの珊瑚 2014-11-02 11:45:49
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