夜更けの紙相撲 夏の墓
そらの珊瑚
私は蝉の声の中で、ひぐらしのものが一番好きである。少し緑がかったボディに透き通るような翅というビジュアルも美しいと思う。夕暮れや明け方にカナカナ……と聴こえてくれば、夏の終わりを含んでいるようでなんとも物悲しい。今年は雨続き、気温も低めだったせいか、蝉の声が少なかったような気がする。
蝉の腹部はほとんどが空洞で、共鳴室と呼ばれているらしい。自ら楽器となってそれを鳴らすために地上に出てくる。愛を語るにはちょっとうるさい音ではあるけれど、ロマンチックな虫という気もしないではない。
――ロマンチックだけが死を忘れさせる媚薬。
「はるがしんだら、どんなおはかがにあうでしょう」とは、寺山修司の言葉らしいが、夏の墓には蝉を埋めてあげたいと思う。
広島市での土砂災害は私の住む街からそう遠くないところだった。今まで体験したことのないような遠雷を、あの夜見た。今にして思えば広島の方角だった。
得体の知れない不吉さと同時に、正直に書いてしまえば美しいと思った。(雷が怖しいのは光のあと遅れてやってくるあの音なのだ)音はしない静かな夜。すごい稲光の連続、それはまぶたを閉じても瞳が感知してしまうような、スルドイヒカリだった。
あの夜、あの積乱雲があそこにあった理由は知らないけれど、もしかしたら自分の住む街であったかもしれない。72人の方がお亡くなりになり、行方不明の方もまだ二人おられるという。一日も早く見つかりますように、そしてご冥福をお祈りします。
つい最近、ヒッチコックの「鳥」を観た。二十年くらい前にも観たことがあるのだが、再び観ると再発見があった。
よりリアルなCGが珍しくなくなった今、この映画に出てくる黒い鳥は笑っちゃうくらいのニセモノ感満載だった。ヒロインが狭い部屋でカラスに襲われるシーンでは、あきらかな作り物に対して迫真の演技。ギャグでなく。一生懸命映画を手作りしてる、そんな思いが伝わってきて、ちょっと微笑ましかった。考えてみると映画はドキュメンタリーを除いてニセモノだ。
それにしても人間というものは(特にホラー映画とかでよく思うのだが)やめておけばいいのに、なぜパンドラの箱を開けてしまうのだろう。明らかにその部屋に凶暴な鳥がいると想像出来るのに。ヒロインはドアを開けてしまう。(開けなければドラマにならないのだが)
この映画では鳥に何人もの人間が殺される。現実の生活のなかで鳥に殺されるという危機感を持ったことはないが、もし鳥がなんらかの事情で人間に対して敵意を持ったのなら素手で人間は到底かなわないだろう。だってあのくちばしですよ。空だってとんじゃうし。
ヒロイン含む一家が車で脱出し、カラスたちがそれを静かに見ているというラストシーン。ヒッチコック監督はそこに人間の未来に対する警鐘みたいなものを込めたのかなあ、とも思ったり。
それにしても野菜の高いことこのうえない。ほうれん草が298円って……。手が出なかった。新米は意外と安かったが、これから先はどうなのだろう。
スーパーマーケットからの帰り道、黄金色の稲穂がこうべをたれている風景があった。泥があった。蛙がいた。小さな生き物がいた、夏。今は田んぼの水が抜かれ、それら命は眠りについているのだろう。
実りと祈りというものはどこか似ているなあと思うのだった。秋の気配。
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