存在と無存在と実存在と(“存在”の本章として)
HAL

きみらが見ているものは仮想現実だ
ただ厄介なのはその仮想現実が
きみらの現実とぴたりと
寸分たがわず重なってしまうことだ

つまり仮想現実を何らかの方法で削除できるとして
すでに現実との密着性が強い仮想現実を削除した場合
同時にきみらの見ている否もっと正確にいうと
きみらもきみらの現実も共に削除されてしまうことだ

そのままにしておけばいいと想うかい
そうするときみらの見ている仮想現実は
他の誰かたちの見ている現実にぴたりと重ね合わさり浸潤し
もうひとつの誰かたちの現実に酷似した仮想現実が誕生する

それをどこかで食い止めないと
仮想現実とまた違う誰かたちの現実がもうひとつできあがる
それらが急速であろうと緩慢であろうと連鎖は連鎖を生み
この世界の仮想現実と実際の現実がぴたりと重ね合わさった
これまでの常識が通用しない不可解な世界が生まれてしまう

それはすでに実は微妙に現実と仮想現実は違うのだが
そのどちらが本物の現実でどちらが仮想現実かの見分けはつかない
言い替えれば正常な善人と異常過ぎる悪人の区別が
外見だけでは見分けられない状態といったら分かるだろうか
つまり異常過ぎる人間はまともに見えるときがあるということだ

その仮想現実と現実との密着性が強められていないうちに
仮想現実と現実を見分け仮想現実だけを引き離さないと
きみらも誰かたちもそのまた違う誰かたちの存在という事象がなくなり
無存在となって存在してしまうことだ

なくなってしまう存在なら何の問題もない
しかし無存在もまたひとつの存在として存在しているのだ
そのままにしておくと無存在で埋め尽くされた仮想現実だけが存在し
実存在という存在本来の存在がすべて無存在という存在になって
まったく別種のまたそれまでと余りにも似た不気味な世界が生まれてしまう

それはいまきみらの誰かたちのさらにまた違う誰かたちの存在の意味が
すべて失われてしまうことを意味するが
それはそれまでの存在と酷似しているが中核はまったく異質なものだ
きみらも誰かたちもさらにまた違う誰かたちもそれを肯定できるだろうか

それを受け入れるならそのままにしておけばいい
しかし無存在となっての存在を拒絶し実存在となって存在したいなら
すぐにでも現実と仮想現実の見分けがつくうちに
まずきみらが仮想現実と対峙しそれらが存在できない世界を構築することだ

でも手強い相手であることだけは忘れないように
見えないからね つかめないからね
見えているのは鏡に映った仮想現実の虚像でしかない
無存在と実存在の違いを知りたいのは分かる
でもいまは無存在は静的であり実存在は動的であるとしかいえない

それは実際の戦争よりも多くの心の犠牲を伴うだろうが
実存在としてきみらが誰かたちのさらにまた違う誰かたちの無存在までを
実存在させられることであり仮想現実がもたらす無存在に対して
言葉の素数でもある存在から無存在と実存在を見分ける数式を導き出し
すべてが実存在となり得る方程式を見つけ出すことが命題となる
そしてその解は詩にとっても必要不可欠な核といっていい本質でもあるのだ






※作者より:読み手の数だけ解決(=解釈)は、あると想います。分からないというのも
ひとつの解決であり、提示はしていませんが、ぼくの解決もそのひとつに過ぎません。
また“異常過ぎる人間はまともに見えるときがある”との言葉は、チャンドラーがフィリップ・マーロフに言わせた言葉を許諾なく借用させて貰いました。


自由詩 存在と無存在と実存在と(“存在”の本章として) Copyright HAL 2014-07-29 17:25:49
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