散文 【 緑病 】
泡沫恋歌

私はかつて[緑病]と呼ぶべき奇妙な病気に罹ったことがある。
それは十八歳くらいの時で、高校を卒業して初めて社会人となって働き始めた頃のことだった。
なぜか緑色に魅かれて、服も靴もバッグも帽子も身に着ける物がすべて緑色になってしまったのだ。決してセンス良くはない、奇妙な緑色の娘にしか見えないだろう。
どうしてあれほどに緑に一色になったのか、今もって謎である。元々さほど好きな色ではなかったのだが、当時はあの色に癒されていたのかも知れない。
高校から大企業に就職して、機械の部品の中に組み込まれた歯車みたいになって働いていたら、半年の間で約六キロ痩せてしまった。仕事がキツイというよりも、人間関係や会社の雰囲気に慣れるのに必死だった。
雁字搦めの生活が苦痛で何度も泣きたくなった。社会に順応性のない私が、自分を抑えて抑えて働いていたのだから、今考えても、それは相当なストレスだったと思うのだ。
緑色の持つ色のイメージである、自然や癒し、平穏などといったことを深く望んでいたのだろうか。それは自らの嗜好で求めたものではなく、自分を護るための鎧甲冑のようなものだったのだ。そして不本意な生活を強いている社会への怒りを封印するための緑色だったのかも知れない。
その頃の自分は無知で未熟で不安定な生き物だったから――。
まあ、その点については今もあまり変化はないが、ただ、世間の荒波に揉まれて、確実に『打たれ強い人間』へとは進化している筈である。
三年後に私はついに会社を辞めて、東京へと飛び出していった。
その途端、まるで憑きものが落ちたように緑色に興味を示さなくなってしまった。そして緑一色は悪趣味だと気付いて、私の身の周りから緑色はどんどん駆逐されていったのだ。
現在、草や木以外で緑色を美しいと感じることはあまりなくなった。
そういえば、ある時、街で全身緑色の老婦人を見たことがあったが、決してセンス良くなかった。痛々しいほどの緑尽くしに、この人は『心が病んで……』そうだなあという印象を持った。たぶん、当時の緑色の自分も気味の悪い病人にしか見えなかったことだろう。
何か一点に強く拘るということは、何かから逃れたい気持ちの表れだったのだろうか。[緑病]だった自分を、今の自分が冷静に分析してみると思い当たることも多々ある。
あれは自分の中で[緑病]と呼ぶべき、不思議な現象だった。



                               2014/07/21  


散文(批評随筆小説等) 散文 【 緑病 】 Copyright 泡沫恋歌 2014-07-21 16:02:21
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