今日ナイキのスニーカー
番田 


歩いていく道に誰かの姿がうかぶ。誰もが、しばらくして消えた。僕は続く草いきれの中を歩く。遠くに昔通っていた学校が姿をあらわす。僕は日々いじめられていたのだと、唇を噛みしめる。演劇の役者が思い出されるほど悲しい顔をしていて、クラスメイトからの暴力を受け、遠くに揺れる五本のポプラの木を見ていた日を思い出す。木は、今も小さな公園で風に揺れているのだろうか。

僕は便りのつきたアパートの一室で、死んだ友人のことを一人で思い出す。短い人生の中で、彼が世界に残した物はどんなものだったのだろう。そしてチラシや本の中に感じる、確かな手応え。感覚できるものだけが存在する僕だった。そういった実感は得難いものだ。でも、僕は横浜の美術館で見た彫刻家の作品を思い出す。雑誌も本も、発生する死それ自体におけるイメージを語ることはできるのだが、人が感じる部分だけを切り取って紙面で表現しようとする。

白紙の紙を携えながら、家へ歩いた。僕に良いできごとは少ない。理想の場所からは少しだけ離れている。詩について言う言葉を考えはじめては、隣町まで歩く。町から出て、大人の階段を登っていたあの頃の僕を追いかけていた。


自由詩 今日ナイキのスニーカー Copyright 番田  2014-01-31 01:07:24
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