人と蛇の寓話
まーつん



帰宅した私は食卓に着くと
両手でテーブルを鷲掴みにし
一匹の大蛇を吐き出した

黒々とした身体
ぬらぬらとした光沢
それは私の分身であり
一部なのだった

゛はらがへったよ゛
と、そいつは言った

琥珀色の瞳孔は
臨界に達した
超新星のように
小気味よいリズムで
収縮を繰り返しつつ
私を見つめていた 

゛お前さんの口にしたものは
 全て俺の胃袋に入った
 一度も野を駆けずに終わった 獣の肉
 一度も証しを立てずに終わった 愛を誓う囁き
 
 権力の名の元に
 無数の貧しい懐から掠めた
 税金の山
 
 正義の名の元に
 無数の敗者の屍に築いた
 栄光の戦績

 穢れたものばかりだったが
 俺の胃は丈夫でね
 
 おかげで、お前さんの魂は
 未だ無垢を保っている
 色と欲に溺れながら
 その顔は少年のように爽やか

 権力の座につき
 女達の愛を勝ち取り
 幾多の国々を征服し
 俺との間に交わした契約で
 お前に約束したすべてが
 今、その労苦を知らぬ手に
 渡りきった

 さあ、今度はこちらの番だ
 見返りに、お前の魂をもらう時だ ゛

青息吐息の私には
靴を脱ぎ棄てるのも大儀だった
それでもなんとか、汗ばむ背中を
椅子にだらしなくもたげ
両足を、テーブルの天板に乗せた

女達を狂わせた
この皺ひとつない顔に
今では、苦悶の影が差し
息も乱すことなく
試練の山を駆け登った
この強靭な身体に
今では、じっとりと
冷汗をかいていた

かつて少年の頃
私はこの蛇と契約をした
一人の男が望み得る
総ての幸いと引き換えに
自らの魂を差し出すことを

宝石の
価値も解らぬ愚か者が
一掴みの肉と、ダイヤとを
惜しげもなしに、引き換えるように

だが刻は満ち
゛総て゛を手にした筈の今
その代償の大きさに
私はようやく思い至った

この身に宿る、魂への愛しさ
それは、己が翼を愛でる
鳥の想いにも似て
それに比べれば
栄光も富も、女の愛も
ただ、ただ 空しいだけでしかない

この身体の内に宿した
蛇の導きに従って
すべてを手にしてきたが
その間の望みは唯一つ
解放されることだった

そして今日
とうとう己が内から
この蛇を吐き出したのだ
今や、私は乞食に堕ちてでも
生き延びたかった
そして、自分の人生を
歩みたかった

゛お前の考えは分かっている゛

と、鎌首をもたげながら
蛇は言った

゛契約を、反故にしたいというのだろう?
 だが、それはできない相談だ
 お前は逃げられはしないし
 俺を殺すこともできない

 ナイフを閃かせて
 飛びかかってきたところで
 お前がどう動くか
 俺には全て分かっている
 ケチな刃物を叩き落とし
 その身体に巻き付いて
 雑巾のように締め上げて
 空しい希望を絞りだしてやろう

 懐の銃を抜いたところで
 引き金にかけたその指に
 稲妻のように踊りかかり
 刃と研いだこの牙で
 あっさり噛み切ってやろう 

 喜びの時も、悲しみの時も
 お前の腹の中にいた俺だ
 その浅ましき心の足取りなど
 三歩前から予測できる
 俺はその先に待ち構え
 鎌首をもたげていればいい  ゛

私は絶望の溜息をついた
その通りなのだ
この蛇は滅びることがなく
獲物を逃すこともない
その奸智が、いかに巧みに編まれるか
私は身に染みてわかっている
老獪な策略家にして
暗い欲望を呼び覚ます
背徳への誘惑者



かつて
貧しき家に生まれ
惨めに砂を噛み
世を恨んだ私の耳に
蛇の声は囁いた

゛屈辱にまみれたお前の生を
 私の導きに預けるがいい
 憎しみを力に変え
 欲望を奸智に変える錬金術で
 飢えた胃袋に肉をやり
 暗い心を栄光で照らし
 孤独な身体に夜伽の相手を
 貧しき掌に黄金を
 望み得るすべての幸いで
 その生涯を飾ってやろう ゛

餓えた若い心は
抗う術を知らず
それに従い、歩み始めた

頑健な体に、麗しき容姿
欲望の奴隷となって
己が為にのみ
立ち働く私の心は
瓶の中の果実のように
徳の芽を吹くこともなく
腐り果てていった

蛇はその牙の毒で
抗う良心を麻痺させて
長い身体で絡みつき
長年のうちに、ゆっくりと
私という存在の善なる部分を
窒息させてきた

今の私には、
最早抵抗する術もない
そこで仕方なく、こう答えた

゛ならば約束通り
 私を飲み込むがいい
 そして明日からはお前が
 私のふりをして
 表の世界に出ていくのだ
 
 なぜなら、
 私の魂の半分は
 この生き様の中にあったから
 お前は私に成り代わることで
 甘味な餌のように
 我が魂の残りを
 端から齧り取っていく
 ということになる

 エデンの園にいたころから
 お前は偽りの名手
 生まれながらの演技者だ 
 その見てくれを
 美しく装うのもお手の物
 表の世界の味に触れ
 その知見を広げるといい ゛

蛇は満足げに頷くと
とぐろを撒いた卓上で
物憂げに身じろぎし
鎌首をもたげた

その身体に絡みついた
私の胃液が褐色の糸を引き
焦げ臭いようなにおいを
いまだ部屋中に放っている

蛇の奴は予想どおり
私の身体を噛み砕くことなく
足の先から丸飲みにした
灰色のスーツを纏い
憔悴しきった顔色をした
一人の青年が
大蛇に飲み込まれる奇観を
この目で見られないのが
私にとって残念ではあったが
当事者ゆえ、やむをえまい

だが蛇の胃袋の中で
私は生き続けた
その強酸の消化液でも
溶かしきれないエッセンスが
私という存在には、あったのだ

そして
永遠に明けない夜の闇に
この目を見開きながら
私は、自分が人間であることを
徐々に忘れていった

蛇もまた、私の姿を借りて
人の世に生きはじめた
永遠に沈むことのない
落日の栄光を
その目に焼き付けながら
そして、己が蛇であることを
徐々に忘れていった

私の身体は細くなり
鱗を生やし
奴の腸の暗がりに
安穏として
息づくようになった

歩くことのない足は
互いに張り付いて
一本の尾となり
伸ばすことのない腕は
胴に溶け込んで
その名残すら残さなかった

やがて、この口には牙が生え
下水管のげっぷのような
おくびと、囁きを
漏らすようになった

陽の当たらない
私の心には
色のない藪が茂り
透き通った花が咲き
影の様に寒い実が結ばれ

その果実を
踏み割ってみれば
邪な想いが転がり出てきた

それを食べた私の口は
暗い知恵を湛えた
アドバイスを
蛇の心に向かって
漏らすようになった

今や新たな蛇となった
私のこの身体の中で
貪欲な息づきを見せるのは
悪しき意図を紡ぎたすこの脳と
悪しき言葉を吐き出しては
奴の耳に注ぎ込む
この舌のみ

蛇だった過去の身の上を忘れて
人の世に一喜一憂し始めた
奴の魂を見るにつけ
私は思うのだ

人間とはいいものだ

どれだけ豊かになっても
満たされない穴を抱え続け
暖かい家の中にいても
その心は寒さに震えている

だから彼らは
内なる荒れ地に
枯れ木を積み上げ
それを囲んで手を繋ぎ
輪になって踊る

意志の力で
火を起こそうと
試みて 

いつか私も
彼らに加わり
愛という名の幻に
踊らされてみたい

かつてのように
もう一度

だから、今は
悪知恵を忘れた奴の耳に
生きる術を囁きかけてやるのだ

いつの日か
奴の口から這い出して



もう一度
陽の目を見るために






自由詩 人と蛇の寓話 Copyright まーつん 2014-01-29 23:22:15
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