ボール
木屋 亞万

ボールの話をします
丸いボールの話です

私はボールを投げる人です
いいえ
投げる人になりたいのです

腕を振って
腰をひねって
手首を返して
ボールを投げます

たくさんのひとに見られることを喜ぶ人もいれば
穴におさまることに喜びを感じる人もいます
遠くへ打ち飛ばすことに快感を感じる人もいれば
地面に小刻みに打ち付けながら走る人もいます
投げる他にも
蹴る人がいれば
それを受ける人もいます

私は毎日壁に向かってボールを投げています
そしてそれを自分自身で受け止めるのです
取りこぼしても自分で拾いに行きます
私の周りには取り切れなかったボールがたくさん落ちています
時間が経てば土に埋もれて消えてしまいます
雪のように溶けてなくなることもあります

人に向かって投げることはリスクを伴います
その人がこちらを見ていなければぶつけてしまいます
投げる場所によっては見ていても捕ってもらえません
ボールをぶつけられることは心地よくありません
私もかつて何度もぶつけれらましたが
ボールが固ければ固いほど早ければ早いほど痛いです

最近はボールを投げる人が増えて
受ける人が減っているような気がします
ボールを投げるとき
できれば誰かに見ていてほしいですし
できれば誰かにうけてほしいです
やはりさびしいですから
しかしボールはすぐに土に隠れたり
水底に沈んでしまったりします
私以外の誰にも見られず誰にも拾われず

私たちはボールを投げますが
投げ方はひとそれぞれです

私のように適当に助走をつけて好きな方向に投げる人もいれば
助走の距離も軌道も着地点もあらかじめ綿密に計算する人もいます
その後のバウンドや時には風や地質さえ考慮に入れ
収まるべき穴に計画的に玉を飛ばす人もいます

私はそれがどうも窮屈に思えてならないのです
そのときの気分で好きに投げたいのです
あれこれ考え、調べ、作り上げれば作り上げるほど
開かれたものであるはずの目の前の景色は閉ざされ
窮屈なもののように感じられます

投げたボールに途中で羽が生えたって良い
着弾した瞬間ボールが弾けて
いくつもの小さなボールが
四方八方に飛び散ったって良い
風にさらわれても
鳥にさらわれても
糸の切れた凧のように降りてこなくても
その予想外のボールの行方を楽しむのです

ずっと昔にどこかに投げたボールが
意外な時に思いもよらない場所で
知らない誰かに受け止められることだってあります
その幸せはボールを投げる者の誰もが憧れることです

ボールは口からも尻からも生まれます
愛からも恋からも
物からも風景からも
季節からも歴史からもうまれます
老若男女問わず生み出すのです

ボールを持ったら
投げたくなります
蹴りたくなります
転がしたくなります
そんなボールの話です

私がしてきたのは
そして
これから私がしたいのは
そんなボールの話なのです


自由詩 ボール Copyright 木屋 亞万 2013-11-24 23:42:43
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