のっぺらぼう
HAL

これがその筋のひとのいう娑婆の空気なんだろう
別に刑務所に入っていた訣じゃない犯したのはただの喧嘩だ
しかし傷害事件とされ刑法弟39条による検察官の申し立てで
心身喪失で入院送致の判決が言い渡された

俺が閉じ込められていたのは完治するまでの精神病院
今日退院するまで10年 独房と言っていい一人部屋で経過観察をされた
そういう意味じゃ監獄と何ら代わりはしない
ただ看守が看護職員と呼ばれるだけの違いだ
もう鉄格子はないが但し強化ガラスになっている

部屋は狭く暖房は利くが冷房はない
夏は地獄だったはずだけどそれを
感じたことは一度もなかった

それはそれほど俺の精神が狂っていた証だ
そのことを医者には言わなかった
言えば俺の扱いはより悪くなる程度は知っていた

でもこうして娑婆に出て驚いたのは
行き交うひとのすべてがのっぺらぼうだったことだ
10年以上もTVや新聞に接してこなかったせいだと最初は想った

その仮面は高精度のコンピュータを内蔵されたものだと想った
のっぺらぼうになっても視力は良くなり視野も視界も拡がり
喋らなくても誰とでも会話ができるものだと想っていた

きっと心は顔の表情に出てしまうし声も変化する
そうならないようにひととひとが穏やかに接する為の
顔全体を覆う最新鋭のマスクのようなものだと想っていた

でもそれをつけているひとが多すぎる
何も知らない俺くらいなものだ 眼を鼻を口を耳を晒しているのは
一体なぜすべてと言っていいひとがその仮面をつけているんだろう

なぜ何も視ようとしないのかが
なぜ何も語ろうとしないのかが
なぜ何も聴こうとしないのかが

俺はあっと声を挙げていつかの俺に気づいた
誰もがひと交わりをしたくはないんだと
誰もがひとに傷つけられたくないんだと

たったひとり電器屋の前でTVに映っていた
この国の現状と未来を語る仮面をつけていない男を観た
その男は大きな声で何か煽動するかのよう口調だった

しかしその顔には蔑むふたつの眼と
腐臭を嗅ぐのが好きそうな鼻と大嘘をつく口
一言でいうならとても卑しい顔だった

のっぺらぼうのひとはきっと知ってしまったのだろう
この社会は精神病院以下の世界だと 淋しさを埋める“悪意”すらも
孤独に寄り添う“情愛”と呼ばれるものすら もうないと知ったのだろう

のっぺらぼうのひとびとは この世界をこの社会を
沈黙することで表情を隠すことで顔色を窺うことを拒絶した
できないはずなのに それでもなお独りで自分を支えようとする

そしてまたのっぺらぼうでない者はのっぺらぼうのひとびとに
心を寄せることすらなくそれぞれは違うのに
十把一絡げにしてサイレント・マジョリティと呼ぶ

またより性根の腐った傲慢な者は
どこも己と変わっているところはないことに気づかず
嘲笑すら浮かべて平然と社会的弱者とすら呼ぶ


自由詩 のっぺらぼう Copyright HAL 2013-08-21 12:53:46
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