海辺の丘陵で 〜Sせんせいに〜
オイタル

白金の雲が天球を流れ
大きな波はぽちゃぽちゃと音を立てて
わたしたちは海を見下ろす小高い丘陵の
点のような椅子に腰掛けていた
腰掛けて
水平線のあやうい空気の色をなぞりながら
ゆっくりとテーブルの上で指先を転がしていた

そのころせんせいは
痛む胸をようやく撫で下ろしながら
もうあのおおきな夏の雲海の波打ち際まで上っていて
わたしたちや わたしたちのやってきた地上の道や
海の端を駆ける少年たちの細い踵や
それから釣り人の無数の光る指先に
長く視線をくれていたに違いない

ようやく雨の気配も消えた真夏の十時
淡くなだらかに広がる丘陵で
わたしたちはチョコの銀紙をなめ
海風をなめ
時代の甘味をなめ
溶けかかった明日をなめていた

戻るということには意味はなく
進むということにも価値はない
蒸し暑いひざの上のスマホの照り返しや意趣返しやそんなことだけが
ご婦人にも
ご老体にも
誰にも彼にも
微笑むに足る史実なのだと
せんせいはそんな 冷たく無意味な一言にも
ほほえんでうなずいてみせたに違いない

わたしたちは丘陵の並んだ二つの椅子の上で
今日の一日の生業の半分を終える
そうして蓄えたいくばくかの食べ物を分け合うために
お互いの心を推し量るという
もう半分の段取りに取り掛かろうとする
せんせい あなたがわたしたちに教えてくれたのは
推し量ることではなく 段取ることでもなく
信じることの健やかさと勇気
であったに違いない

確かにこうしているうちに
尖った波からざらつく夏の空へと立ち上る
無数の命の気配をまとって
せんせいはゆっくりと 手を振って消えていく


自由詩 海辺の丘陵で 〜Sせんせいに〜 Copyright オイタル 2013-08-10 20:38:53
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