あの猫の名前はマダナイっていうんだ、
木屋 亞万

あの猫の名前はマダナイっていうんだ、
名作の書き出しに目がないようで
いろいろ聞かせてやっているんだが
書き出ししか知らないせいで
良からぬ方へ想像の羽を広げてしまっているようだ

「親譲の無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」
と読めば、「無鉄砲」というのはインポテンツのことか?と問うてくる
それなら損をするのも仕方がない
インポの子はインポなのだなと笑うので
やめなさいとたしなめた

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
と読めば、トンネルというのは女の陰部の隠語だろう?と問うてくる
その先に雪国があるということはつまりは事後だな
鉄砲玉がありすぎても困り者だ、穴から抜けたのは本当に列車なのかどうなのか
ニヤニヤとした顔をするので、「夜の底が白くなった。」という続きを読むのはやめた

「木曽路はすべて山の中である。」
と読めば、木曽路というのは三十路のようなものか?と問うてくる
すべてが山の中ということはかなりの剛毛と見た
猫の吾輩がいうのも何だが密林のような毛をかき分けるのはそそるものだ
毛の生えそろわぬ幼子よりもやはり女は三十路だと呟いて足をなめた

「それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていたのだった。」
と読めば、もう説明がいるか?という顔しながら、
「生い茂る」「お前」「立ったまま」「熱心に」「かいていた」
「一本の白樺」「木陰」「身を横たえる」という言葉から
夏のアバンチュールを想像しないものを吾輩は信用せんなと言った

「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。」
と読めば、つまりこいつはマゾなんだろ?と問うてくる
えたいの知れないものに始終圧えつけられる快感に全身を預けているのだろう
その不吉さの塊に心を奪われそうで、その背徳感にまた興奮を抑えきれぬのだ
マゾヒズムの陶酔もなかなか悪くはないなと言うとマダナイは塀の向こうへと消えた

マダナイはマゾヒズム的解釈が好きなようで、
「恥の多い生涯を送って来ました。」と読んでも、
「私は頬を打たれた。」と読んでも、
「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした。」と読んでも
「こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。」と読んでも、
やはり名文はマゾヒズムだなと言うリアクションしかしない

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。」
と読めば、女が股を開こうとしているという読みでいいんだな?と問うてくる
まことに小さな国と言うところが何ともつましくて良いじゃないか
強引に開かれたのか自分から開いたのかは知らないが
女が足を開くというのはやはり特別なことだなと感慨にふけっていた

「山椒魚は悲しんだ。」と読めば、
男が逝ったのに女は逝けなくて、そのことすら言えないでいるんだろうと言う
「いやなんです / あなたのいつてしまふのが――」と読めば、
そうだろうなと言って笑う
「メロスは激怒した。」と読めば、
女が勝手に逝ったことに激怒するタイプの男は器が小さいという話になる
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
という問いには、したり顔で精液だろう?と言っていた

「ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。」
と読めば、気がかりな夢というのは淫夢だろう?と問うてくる
ザムザという男が初めての精通で夢精をして、
それ以降、精液という毒を吐き続ける毒虫となるわけだ
オスは悲しいなと言うと、マダナイはいつもより長めに鳴いた

私はいつも小説を読むとき、書き出しだけ声に出して読む
それが私の思考が読書へと切り替わるスイッチになる
その時マダナイは聞いていないふりをするが
いつもしっかり傍にいて、自分が気に入ったものには
いろいろなコメントを残していった

あの猫が反応を残した文章には、たしかにどことなく淫靡な雰囲気があった
もちろん書き出し以降の内容とマダナイの妄想がかみ合わないものも多々あるのだが
あの猫が反応しない書き出しは確かに豊潤さに欠ける気がしてくるし
マダナイが訥々と解釈を語りだせばお堅い名文も卑猥に響くのである
猫というのはおもしろいものだ


自由詩 あの猫の名前はマダナイっていうんだ、 Copyright 木屋 亞万 2013-06-15 17:58:30
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