躯は踊る、無作為なときの中を、ひとりで
ホロウ・シカエルボク




撲殺された昨日の夜の刹那の思考の躯を油紙で包み、台所の床を引っぺがしその下の土に埋めた、覆い隠されただけの地表は湿気て暗く、その下の地中は加えて重く悲しく、そんな土を長く長くえぐり、刹那の思考の躯をえいやっと放り込む、土嚢五個分くらいの湿った音を立てて刹那の思考の躯は深い穴の中に落ちる、そいつは埋める必要があった、そいつだけは絶対に埋める必要があった、心などなにもかも賛美していい代物ではない、ましてやそれが詩篇に関することなら尚更だ、出来るだけ冷酷にその全てを行おうとしたが、やはりどこか埋葬のようにそれは、掘り下げる時よりもゆっくりと埋葬のように埋め戻された、埋め戻された地表は、掘り下げられるその前よりほんの少し濡れているように思えた、このあとこの床には再び釘が打たれ、おそらくは一生開けられることはない、すべてが終わってから少しだけ酒を飲んだ、身体よりも頭を痺れさせるやつを…

カップをテーブルに置いたら、それきり音がしなくなった、もちろん、無自覚的に耳にしている音以外はということだが、それきり何の音もしなくなった、まるで周辺の景色がそのまま、なんらかの誤作動の中に放り込まれたような有様だった、酔いがまず脳天に来て、それから胃袋へ下りていく軌道を追ってから、立ちあがった、あとで喉が渇かないように、少しだけ水を飲んでおこうと思った、そんなことに実際、どれだけの効果があるのかなんて判らないが、どのみちそれは詩篇とは関係のない出来事だ、好きに振舞って差し支えない、立ちあがって水を飲んだ、熱を持ったラジエーターが冷えてゆくような感覚があった、一日の終わりに消化器官を洗浄したものが胃袋で湖になるのを確かめてから便所に入る、アルコールが入ったとき特有の、だらだらとした小便を長い事一物から吐いて、和式便所の水溜りに僅かに色をつけた、水を流すと古い設備特有の、結核持ちの咳のような音を立てながらそれらは下水管に流れ込んで行った、アデュー、と言って便所を出ると照明の違いに目がくらむ

人が眠るときにそこに求めているものは何だろうか?休息か、あるいは胸躍るような夢か、あるいは場末のシアターのレイトショーに求めるような釈然としない欲望か?寝床になどなにも求めるべきではない、未整理に垂れ流されるものはすべて夢という名前で呼ばれるとしたものだ、どこに届くこともなければ、どこかで昇華されることもない、ただの垂れ流される出来事に過ぎない、身体の求めるままに横になるだけだ―このところ、むやみに長い夢を見る、喋ることでしか己を証明出来ない誰かの言葉に耳を傾けているような気分になる長い夢を、もしかしたら眠りというものは、日々の出来事をふるいにかけて、残ったものを確かめるための時間なのかもしれない、だから眠ることそのものを怖がるやつもいるのだ、眠りの前になって、しょぼくれた目で必死で一日を延長しようとするものがいるのだろう、横になる、近頃真夜中過ぎには妙に暖かくなったり寒くなったりして、そのたびに眠りは中断される、そうして起き出して小便に行き、戻ってきたときに目にした寝床の様相に少し違和感を感じたりもする、半覚醒と目覚めの中間あたりのラインで動いているからだろう、そんなときには時間の流れ方がまるでなっちゃいなかったりする、いきなり五分ほど飛んだかと思えば、その倍の時間をかけて一分が過ぎたりする、眠れないときには音楽を流す、バガニーニなんかを、小さな音で流す、それは無作為な時間の中で、急流に浮かべた草の船のように流れてゆく

あるとき、朝が来る直前に見た夢の中で、そんな草の船の上に乗っていたことがある、川の流れはやはり早く、とても立っていられるようなものではなく、カフェ・オレのような水を被り、ときには飲みこんでしまい、激しく噎せ、だけど気は抜けず、枝との接点だった僅かな突起にしがみついて必死にしていなければならなかった、おれはどうしてこんなものに乗ってこんな流れを下っているのだろう、とそんな考えが一瞬脳裏をよぎったが、とてもそんなことにこだわっていられる状況ではなく、そのことはすぐに忘れた、代わりに思い出したものは、台所の床下に眠っている刹那の思想の躯のことだった、冷たく、湿気た土の中に眠っている―軽くなったせいだ、とおれは思った、軽くなってしまったせいで、このようなところまで流されてきてしまったのだ―と

水中から大きく突き出た石にはまるで気がつかなかった、ずっと波に隠れているせいだ、草の船はその石に弾かれ、おれは落水し、ピンボールみたいに回転しながらあちこちへ弾かれ、身を削られ、ポケットへ落ち込んだ、その下には水辺からはぐれることが出来る陸地があり、血と水に塗れた俺はそこに横たわりほどなく息絶えた

そしておれの躯はふやけて、皮と肉と骨が次第に分離していった、臓器たちが蛇や海月のようにのそのそと這い出して己が身を絞って川の水を吐いた、それから猫のようにぶるぶるっと震えると整列し、そこから次第に溺れなかったおれが生成されていった、それはまるで孵化のようだった、実際、身体は始め無色透明で、思い出したように色をつけていった、生成された俺は細かいところから順番に身体の動きを確かめ、それから川の流れを見つめ、もう過ぎたことだというように首を横に振った、そしてなんのあてもないが川の側にある森の奥へとゆっくりと歩いて行った

そうして俺は目覚め、例の台所で湯を沸かし、インスタントのコーヒーを入れて飲んだ、まだ早い朝の日は礼儀正しい新聞配達人のようで、空気は川の水のように頑なに冷たかった。







自由詩 躯は踊る、無作為なときの中を、ひとりで Copyright ホロウ・シカエルボク 2013-02-13 23:59:45
notebook Home 戻る