風俗考 幇間の部
salco

 私見だが、都と警視庁と商店街のタッグで健全化した、最近の歌舞伎町ほど女に安全な町はない。
 不夜城という通り、夜っぴて明るく人目があり(裏手に暗がりと悪意はあるのだろう)、あの頃ダブルのスーツに角刈りやパンチ
パーマのカリスマ達が風林会館の喫茶室でギラギラと茶をし、コリンズビルの横で黒いセダンが団子になっている風景はない。
 池袋のディープなゾーンでは今もお見かけする業種の方達は一体、このディルド神殿とでも呼ぶべき本山のどこで甘い汁にたかっ
ていらっしゃるのだろうか。

 そしてこの町のターゲットは9割がた男だ。ウブな女や自我の不安定な年頃はさて置いて、ここの連中は商品価値のある娘にも迂
闊に手を出さない。そんな娘達で食っているのだから当然の協定なのだろう。勿論、食い物にされている自覚がなければ被害意識は
湧きようもないが。
 そんな雇用実態もアリというだけで、事業目的も労働者の心得も、重点は客の懐から抜く札の数に在る。


 とっぷり日が暮れた頃、辻々に客引きがたむろする。取り締まりの強化で昨今は閑散と、ずいぶん何気なく所在なげを装っている。
 職安通りにほど近いエリアではホスト達もウロウロし出す。この子達の服装というのがまた夏もダークスーツ、冬はその上にロン
グコートで、草創期以来のステレオタイプが微苦笑を誘う。
 ホステスやキャバ嬢、また性風俗嬢の装いが客の要請(お高く止まったOLや、魅惑の崩れた奥方には望めない)に合わせている
「だけ」なのに対し、彼らのは男性社会の規範に基づく自己像であって、顧客の欲求とは全く関連しないのである。何故なら毛穴の
開いたオバサンであれアタマに偏西風すさぶ砂女であれ、カネ目当てで自分をチヤホヤしてくれるステキな男は、どってことない容
姿を毎日ユニットバスで洗ってくれてさえいれば、膝の抜けたジーンズにウォレットチェーン、無精髭でも構わない。

 そもそもがビジネススーツという固定給人種のドレスコードに、ホストクラブというぼったくり接待飲食等営業其2業態が倣う文
律は、滑稽の悲哀以外の何ものでもない。これは男という攻撃性・支配欲が強いジェンダー、又それを発揮しなければ脱落を余儀な
くされる「役」を負わされた社会動物が、一方でいかに組織的規律に安堵するものか、既成概念に基づき自己像を構築しているかが
知れる好例だろう。
 灰色スーツにラッシュアワーと高層ビルにetc.(下らねえ上司に毎日マウンティングされる屈辱など)という、のし上がる為に
は苦杯を重ねるスタンダード路線を離脱した気で、あるいはみみっちい定収入からの脱却を目論みながら陥っている、この社会モデ
ルに対する強いこだわり。あるいは依存の自家撞着。
 総じて自分の気分に従う女との、これが一番大きなズレだろう。吼え猛りながら檻を望み、自らを型に嵌めて安んじている。

 そして女の方はと言えば、結局は大方が「人並み程度」の安定を望み、後付けで個人生活の対社会的居住性を検討し出すようにな
っているのだ。暮らしの現実は遊びじゃない。イコール、遊びの余裕もない生活レベルに自己存在を賭ける価値はない。
 食うにも事欠くド貧困から自分を救い出してくれる君に焦がれる時代ではないにせよ、「何の為の苦労か」が、共生には問われる。
生活全般の妥協や忍耐がこの先報われるか否か、そこに男の器量が関わって来るのであれば、谷底の景観に二の足三の足を踏むのは
人情だ。ステキな彼が能なしだから/夢見る夢子の元手も尽きる てなわけで。

 社会の枠組の中で、自己を「曲げ」続ける事で生活基盤を構築・維持して行く常道を肯えない彼らオミズ男子も、生活力がなけれ
ばたちまち見限られるスタンダードを生きざるを得ない。しかも女子部と違い、その年齢的猶予期間がヒジョーに短い。二十八を目
前にヘルプに甘んじ、落ち延びる先に北赤羽のスナックもありはしないのだ。夜な夜な交際費で飲み歩き、イケメンどころの芸者に
酌される上機嫌をステータスとするような女性が、人口の5%でもいれば話は別だが。
 夜の隅っこで人気者となり、膵臓か肝臓がやられる前に経営(実業)側へ転じる輝かしい成功譚が、こうして自分には階梯や高尾
山でなく蜃気楼だったのだと悟り、大きな回り道をして「堅実な仕事」のふり出しまで戻るわけだが、そこにはやはり学歴と職務経
歴が立ちはだかる。
 檻に眠らせ閉塞に吼え猛る、人間の雄性ほどの悲劇があろうか。


散文(批評随筆小説等) 風俗考 幇間の部 Copyright salco 2013-01-20 23:25:02
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