明日もないし帰る場所もない
ホロウ・シカエルボク




暑い国の銀行で爆弾をシャツに隠して自爆した男の生首を抱えて泣いている女の言葉は誰にも訳せないだろう
俺はほんの少し飲んだ生ビールのせいで生まれる微かな頭痛を覚えながらそんな動画を見ていた、リクライニング・ソファーに身体をあずけて
火薬の力で引きちぎられたのだろう、男の首の根元は観賞用の魚の艶やかなヒレのようで、そのヒレはちょうど歩道と車道の間の縁石に寄り添うようにしっとりと赤くて
彼はそのヒレで、爆心地からそこへ泳いできたのだ、呆然なのか恍惚なのか、釈然としない表情を顔面に残して
石で出来た銀行の壁の一部が破壊されてその煙がいつまで経っても消えずに残り続けて…生命にかけられる毛布みたいに、ふわりと…
首だけになった彼の姿は俺に幾つもの詩を語ろうとする、イデオロギーや、宗教とはまるで関係のないひとつの人生の終わりを
俺は画面を拡大させて彼がなんと言おうとしているのか読みとろうとした、リプレイのボタンを何度も押して―ヘッドホンを被り小さな音まで聞こえるくらいボリュームを上げて
周りで騒いでいる車や人の声が五月蠅くて彼が何を言おうとしているのかはまるで分からなかった、もしも仮に音で聞こえたところでそれは俺の知る言葉ではないのだが
だけど男の口は確かに動いたんだ、俺は思いつく限りのいろいろな言葉でそこにどんなフレーズが当てはまるのか試してみた、思いつくものは片っ端から
そこには喜怒哀楽というような感情は当てはまらなかった、そこにあるのはたぶんその後の言葉なのだろうから…だから俺はそんな感情のことを想像してみた、わずかなアルコールはとうに消え、頭痛もいつしかおさまっていた
俺は様々な言葉をそこに当てはめてみた、一番しっくりきたのはこんな言葉で…「なあ、死んじまうんなら首だけになるのが一番いいぜ。なにかとふっ切るのにこれほどいいものはない。」俺は何度かリプレイをクリックしながら映画みたいに上手くアフレコをした、なにかとふっ切るのにこれほどいいものはない、なにかとふっ切るのにこれほどいいものは…
それは何故か多分ほんとなのだろうという気がすごくした、そこから現れるひとつの死の形になにも嘘はないような気がした、俺はもう一度動画を始めから終りまで見た、俯き加減で入ってきて、シャツの裾に手を伸ばしたとたん吹き飛ぶ彼のことを…俺はそれに何か名前をつけようという気になった、だけどなんとつければ一番しっくりくるのかどうしても分からなかった、だって俺は日々の仕事でくたくたに疲れていたし少し酒も飲んでいたから…酔いは醒めていたけれどもうそんなこと考えられるような状態ではなかったのだ
明日の朝は早いのだ、ブラウザを閉じてパソコンをシャットダウンして寝床にもぐりこんだ、明日の朝4時にアラームをセットして…まったく、前の日の夕方に突然早朝入ってくれなんて狂ってるぜ、まともじゃない…
目を閉じるとあの男がヒレでゆっくりとこちらへ歩いてきた、幸せそうににこにこと笑いながら…
「なあ、なあ」
「なんだい…明日早いんだ、眠らせてくれ」
首だけの男はそれを聞くとカサカサと笑った
「なにがおかしいんだよ」
なあ、なあ、と、その男はまた繰り返した、どうやら生前からの口癖らしい
「なあ、首だけになっちまえばいいぜ、首だけになっちまえばなんかしら吹っ切れるぜ、目線が全然違うんだ、あれが大きいんだろうな」
俺は特別そんなことに興味はないと言った、生首の目線なんて特別知りたいと思わないと、俺がそう言うと男は少し悲しそうな顔になった
「だってあんたあんなに何回も俺のこと見てたじゃないか、何度も再生していろんな言葉を俺にアフレコしてたじゃないかよ?興味がないなんてそんなこと言うなよ」
興味はあった、だけどそれはあの時のことだと俺は答えた、男は目に涙すら浮かべて俺になにかを抗議しようとしていた、だけどどんなふうにそれを言えばいいのか分からないのだ、ただ黙って俺の側に突っ立って(?)いた―もう帰ってくれよ、どこに帰るのか知らないけど、と俺は言った
「明日の朝は早く起きなきゃいけないんだ」
男はどぎまぎしてそれから、俺にはもう明日なんてないし、帰る場所も無いんだ、と叫ぶように言うと、ヒレで歩きながらどこかへ消えていった
俺は目を開き、寝返りを打ち、男が消えていったあたりをしばらくの間眺めていた、畜生、どうもぐっすり眠れそうな雰囲気でもなさそうだ…







自由詩 明日もないし帰る場所もない Copyright ホロウ・シカエルボク 2012-10-13 21:32:10
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