意義のある人生のために
小川 葉



昨年わたしが二十年ぶりに、故郷の秋田に帰ってきて感じた印象は、飲食店の接客も、人々の仕事への接し方も、いい意味で「いい加減」なのである。ちゃんと暮らしを成り立たせるための時間を守りながら働いている。

秋田の人に、わたしがどんなにこれまで、都会で日々徹夜続きだったんだと言ったって、おそらく遅くても夜12時くらいの日が二三日続いたくらいにしか信じてくれないだろう。まったく秋田の夜は暗くて、ほんとうに夜なのだから。

しかしわたしは正真正銘、まるまる三日間、一睡もせず動き続けた日々が、毎年恒例のように数回あって、それ以外の日も午前2時3時があたりまえだった。嘘偽りなくこれは本当のことだった。

それでもわたしはこれでも怠け者なので、いくら遅く帰っても朝の出社時間まで行かなければ遅刻扱いになるのだから、ほんとはそうしなければならないのだが、それもまたばかばかしくて、わたしは毎日午後から出勤していた。どうせまた仕事は朝まで続くのである。しかし驚いたことに、前日、いやさっきまで職場にいた人が、朝9時30分きっかりに出社してくるのである。そうしなければ給料が引かれるのだから、生活を守るためにはそうしなければと遂行され、それがあたりまえの基準となっていくのである。

だからわたしはひとり、ばかばかしくなったので、震災をきっかけに、これ以上はもうたくさん、という思いで故郷の秋田に帰ってきた。

だから秋田はもっと頑張らなければいけない、ということではない。いい加減のままでいいのである。人に無理を求めず、当たり前の暮らしを守るほうがいい。実際、わたしの年収は、都会も秋田も変わらなかった。むしろ得ることのほうがたくさんだった。

牛丼が280円だとか、380円だとか、接客がどうだとか、笑顔がどうだとか。人を人として見ていないから、そんな基準でしか人を見ることができなくなったのだ。それがお互いを苦しめていることにも気づかないふりをして、ばかは死ななきゃなおらないとさえ、わたしは、わりとまじで思ったものである。だから自然が警笛を鳴らしたのではないかとさえ思ったものだ。

都会はいまや、田舎に見習うべきであるとさえ思う。実際そうであると思う。これからは都会よりも田舎が豊かになっていく。有意義な暮らしと、人生のために。わたしは今、そう確信している。


参考文献:「頑張らなければいけない」空気に、人が組織で取り囲まれる怖さ-渡辺美樹氏、木村剛氏を観察した私の経験から - 石井 孝明
http://lite.blogos.com/article/34136/?axis=b%253A41



散文(批評随筆小説等) 意義のある人生のために Copyright 小川 葉 2012-03-17 21:14:47
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