感受性
木屋 亞万

感受せよ
目で耳で肌で
感受せよ
全身を媒介にして

詩を書くということは
何かを感じて
何かを受け取って
言葉へとまとめていくことだ

身の回りの世界
一行目の言葉
差し出されたタイトル
感受せよ
心のままに

感受したものを詩に置き換えることが
新鮮味を失い
徐々に習慣化してきた
次第に一度感受したことのあるものを
何度も感受するようになる

季節

時の流れ
感受される内容に
新しいものが見出されなくなってくる

感受性がなくなったわけではない
たぶん衰えてもいない
しかし新しい言葉が出てくることもない
これが私の感受性の限界
私の感受性はもう言葉で飽和してしまった

季節が巡るたび
恋をするたび
時の流れを感じるたび
言葉はあふれ出るけれど
それはもう私自身によって語りつくされてしまった

もうすでに多くの語り部が
語りつくしたようなことを
自分の言葉で
自分の感じたままに
表現することは
甘んじて受け入れられる

けれども
すでに語ったことのあるものを
同じ言葉で語り直すことには
どうしても魅力が感じられない

これからどうするのか
これからどうなるのか
私自身よくわからない

感受性にひたすら耳をそばだてながら
言葉を少し眠らせておくことにしようと思う

次に目覚めるのがいつになるのか
眠りつつある私には
まるで見当がつかないでいる


自由詩 感受性 Copyright 木屋 亞万 2011-09-10 18:10:42
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