ざくろ
亜樹


 たきの家には昔から、大きな柘榴の木があった。
 たきなぞより、ずっと長く生きてきたのであろうその木は、もしかしたら、この家よりも古いのかもしれない。それほどの巨木であった。
 その枝にたわわに柘榴の実がなっていた。
 薄茶の皮がぱくりと裂け、中から赤い果実がのぞいている。
 まるで、人の頭のようだとたきは思った。
 人の頭が割れた様など見たことはないが、おそらくはこんなものに違いあるまい。
 そう思うが否や、重さに耐え切れなくなった枝から、ぼとりと柘榴の実が落ちる。
 地べたにたたきつけられたその実の醜悪さに、たきはその幾分か整った顔をしかめ、踵を返した。
 ただ鼻腔には、その甘い匂いが染み付いていた。


 たきは、明日死なねばならないらしい。
 理由は知らない。
 けれども彼女の良人が言うには、それは確かなことであるらしかった。
 自分だけではない。
 彼女の良人も、二つにもならない息子の戸分太も、死なねばならないらしい。
 祝言以来、一度も笑ったのことのない夫は、そのときもひどくしかめっ面をしていた。
 ともかくも、夫がそういうのであれば、妻たるたきに異論の余地がある筈もない。
 母から譲り受けた白装束を陰干しし、これで見納めかと、生まれ育った我が家を眺め歩いていたその目端に、不意に柘榴の木が写ったのである。
 何故その木があるのか、たきは知らない。
 ただ一度、幼い時分、その実を食べてひどく叱られたことだけは覚えている。
 食べられもせぬ実なら、ならねば良いのにと、理不尽に感じたことは覚えているのだが、その味だけは少しも覚えていない。
 けれど、多分それはひどくまずかったからだろう。
 何しろあれは、人の味がするのだそうから。
 それを知ったとき、たきはひどく気味悪がって、てておやに切ってもらうようにせがんだのだが、験が悪いと取り合ってもらえなかった。
 今にして思えば、単に金子がなかったというだけのことなのだろう。
 昔気質の父に、庭師の真似事をして木を切るなどという真似ができようはずもなかった。
 職人をやとおうにも、その日の米さえままならぬような様だったのだ。
 そのくせ変に狭義心ばかりが高い。家ばかりがでかく、碌な録も与えられない我が家が、良人の様な生真面目な婿をもらえたのは、僥倖としかいいようがないだろう。
 いっそ、身分も家も、全て売り払ってしまえばよかったのだ。
 良人も自分も、息子すら死なねばならぬということは、ようするに廃嫡ということなのだろう。てて親が、そして自分が身を挺して守ったはずと家と血は、理由もわからないまま絶えようとしている。
 それに逆らう気力もたきにはなかった。
 ぼとり、とまた一つ柘榴の落ちる微かな音がする。
 熟れ過ぎた果実は落ちる。
 つまりはそういうことなのだ。




 そうして夜になった。
 最期の晩だというのに、良人も戸分太いつものように夕餉を取り、早々に寝付いてしまった。ただ、良人が飯が上手いと言ったのは、はじめてだったかも知れないとたきは今更ながらぼんやりと気づいた。
 灯りもともさない部屋で、小さく二人分の寝息だけが響いていた。それがたきには妙に気に掛かった。明日にはこのどちらの消えるのかと思うと、妙に胸がむかつくのだ。
 そう、けして悲しいとか、胸に詰まるとか、そういった切ない感情ではなかった。
 むかむかするのだ。胸の奥が。とにかくも、落ち着かない。
 生きた人の匂いが、とにかく不快だった。
 たきは良人を起こさないようにそっと布団を抜け出すと、寝巻き着のまま庭へ出た。
 誰か家の前を通るやもしれないという、微かな不安がたきの胸によぎりはしたが、それはすぐに掻き消えた。
 誰ぞに見られたところで構うものか。所詮明日には死体へと変わる体だ。惜しむようなものでもない。
 そう思うと、むしろ清々とした心持で、たきは裸足のまま庭へと降りた。今日は満月だ。月の光が柘榴の枝を通し、濃い影を造る。
 その光が、赤い柘榴の実を照らしていた。
 落ちて朽ちた実が放つ、甘い香りがする。
 こんな、芳しいものだっただろうか。
 昼間はむしろ嫌悪の対象でしかなかったはずのその実が、ひどく蠱惑的なものとしてたきの眼には映った。
 ふらりと、誘われるまま、一番低い位置にあったその実をもぎる。
 よく熟れたその実は、よく熟れて、ぱっくりと割れていた。
 半透明の赤い実が、ぎっしりとそこから覗いていた。
 月の光が透けて、まるで紅玉のようで。
 たきはその細い指を、そっとその割れ目に差し入れた。





***





 刑場には、生ぬるい風が吹いていた。
 竹で編んだ粗末な柵越しに、黒い人だかりが見える。
――怖いねぇ
――おとろしいねぇ
――血の海だったんだってさ
――おかあちゃん、お腹すいた
――子どもがいたらしいじゃないか
――胸から剣がはえてたらしいよぉ
――風車、風車、一本5文、青、黄、朱色
――アレだろう、高島の屋敷の、まだ随分と若い
――米問屋の若旦那、ああ、真面目な良い人だったのに
――おい、こんなところに子どもをつれてくるんじゃないよ
――たらしこんで、金子をせびったんだって、そんな上等な玉かい
――いやいや、遠ぉてようは見えんが、なかなかなかなか
――お侍さんも可哀想に、あんな嫁貰ったばっかりに
――おまえんとこのカミさんにくらべりゃあなぁ
――恥だなんだでお侍さんは腹ァ切れるんだねぇ
――いや、酒癖がひどく悪かったらしいよ
――なんだって、間男の分際で
――かざぁぐるまぁ、風車
――お屋敷に乗り込んで
――おかぁちゃん
――間の悪い
 口々に好き勝手に言い合う声は、漣のようにたきの鼓膜に届いた。
 心地よくすらあった。自然たきの顔に、笑みが浮かぶ。
 何があったのか、たきは知らない。
 あの夜、たきが庭から戻ったときには既に、戸分太も良人も、そしてたきが体を担保に金を借りていた男も、一緒くたに死んでいた。畳にも布団にも染みこまなかった血が、まだのっぺりとした光沢を伴って赤かった。
 何がいけなかったのか、たきは知らない。
 人は不義だ売毒婦だとたきを責めるが、それなら餓死すればよいとでも言うのだろうか。たきの良人が、勝手にそれに気づいて恥ずかしさのあまり自決しようと決心したことも、米問屋の若旦那がしこたま酒を喰らった挙句、どうゆうわけか柳刃包丁片手に我が家を訪れたことも、たきは知らない。知らなかった。親切な役人がたきにそれを告げるまで。
 たきは知らない。何も知らない。ずっとそうだ。昔からそうだ。自分のことも良人のことも世の中のことも。
 刑場人が張りつけにされたたきの足元へとよってくる。手には槍を携えていた。
笑みを浮かべるたきに、刑場人は眉をひそめ、「何か言いたいことはあるか」と問うた。
 重く響くその声に、とうとうたきは破顔した。
「私は浅学非才の輩でございますれば、今此処で申し上げるのに足るようなことは、何一つ存じ上げません」
 笑いすぎたたきの目尻には涙が浮かんだ。刑場人はその涙に、今際の際の狂人の、理性の最後の一滴を見た。
「ただ」
 哀れみにも似た視線を受けつつ、なおもたきは笑った。
「柘榴は、甘うございましたよ」
 たきはその短い人生で唯一知ったその真実を口にした。
 ぽとりとその目から涙は流れ落ちた。




散文(批評随筆小説等) ざくろ Copyright 亜樹 2011-06-20 20:14:31
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