マニフェスト −No More Fukushima−
大村 浩一

「この戦いが終わったら」
とか言うのは何とかフラグなので(笑)
縁起でもないのだが
この戦いが終わったなら
今度こそ子供らが安心して眠れる国にしよう
子供の親たちが汚染で途方に暮れたり
しないで済むような国に
(この国がそんな風になるとは思わなかった
 3月11日までは)

俺たちは脅えるために産まれて来たのではない
シートンのぎざ耳兎だって
もっと積極的に自分を生きてきた

こんな国に誰がした
と生贄を探しても仕方ない
49 という自分の年齢を考えるなら
この国をこんな風にしてしたのは
他ならぬ私たちだ
嫌な事には目をそむけ
涼しい部屋で自分の腹だけは満たして

地上波TVで娯楽番組が流れる
恐怖をまぎらわす事も必要だが
ここまで日常化させては
現実逃避と思えてならない
原爆の時はもっと大勢が助けに行った筈だ
怖さを知らなかったと言えばそれまでだが
いまの福島は私らにとって
余りにもよそごとではないか
命を削った人たちが虚しくなるような空騒ぎが
無事な地域で続いている
(そこで私はまた脅えてしまう)

でも俺たちは脅えるために産まれて来たのではない
シートンのぎざ耳兎だって
もっと積極的に自分を生きてきた

気づいたら
この場を切り抜けられたとしても
元気で居られるのはせいぜい20年
自分もそんな年齢になった
富豪ハワード・ヒューズのように
脅えて無菌室に閉じこもっていても
その中で老い朽ちてしまうことからは
逃げられない
でも俺たちは脅えるために産まれて来たのではない
シートンのぎざ耳兎だって
もっと積極的に自分を生きてきた

命のある限り精一杯生きよう
明日の太陽を信じて
生きられる限り
生に踏み留まって生きよう


2011/3/22
大村浩一


自由詩 マニフェスト −No More Fukushima− Copyright 大村 浩一 2011-03-23 21:31:38
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