人 間の国
salco

「神の国は近づいています」
「悔い改めなさいと」
「イエスは…」

ビルの谷底に流れる歳末の声音こわねは伝道というより脅迫めいて
拡声器で繰り返されるその文言は
オーウェルの『1984』や映画『ブレードランナー』を想わせる
三脚に鉄鍋で浄財を募る救世軍の北軍風のなりが
古きよきピューリタニズムを醸して質朴なのと違い
黙示録の心理作用に乗せた警告仕立てだからだろう
その意図が
舗道や外装タイル、標識や看板にばらばらと反響する雑踏の
行進を寸時止める力を有するわけでも
持ち物を携えた人々の心を脅かすわけでもないが
各自帰る場所への安堵に委ねた視野に瞬時
暗雲のサブリミナルを投げかけはするのかも知れない
清潔で陰鬱な我々・極東のペイガン達に
少しはことわりに怯えてみよと迫っているのだろう

我々は理に怯えていないのか
個々で不安を十全なほど抱えていないか?
この煤けた現状や先行きの無色透明を「神意」と名付けていないだけで


なるほど神の国など来りはしないと思っている
それはGUCCIのドアボーイがGUCCIのポリシーを
象徴しているのでなく
容姿端麗180?上の選考基準を通ったアルバイトなのだ
という程度に確かだ、と
例えばニューヨークの街角でも、多分それは同じだ
人々の素通りは、
オーソドックスとノンレリが大勢を占めるというだけでなく
やはり、我々の展望が神の存在、あるやなしやのアルマゲドン
そうしたテーゼとは全く無関係である事を知っているからこそだろう
そして必ずしも個に直結せぬ社会不安、
時代の不確かさ、人々の憂鬱という空気の重苦しさが
晴れていた時代など今まで一度もありはしなかったのだ
2001年から十年経った2011年、その十年後の2021年も
1931年、1901年、901年、01年の気分と寸分変わりはしない
ただ地球環境の激変と幾十万発もの最終手段を
更にはそれら拡散の一途を現物として鼻先に突きつけられている、
それだけの違いで
株価下落や円高で首吊り、蒸発する者は後を絶たずとも
温暖化や防衛白書で発狂する者などいはしない
また現世利益に直接携わらぬ子供達が病む厭世感に、政治経済は関与しない
現代は成人並の加圧が小学6年生にも及ぶにせよ、だ


生きる事は常に重苦しかったし、その場所は重苦しいのだ
肺活量の個体差でなく人生という時空、
また人間社会という飼育槽は
常に酸素が足りず排泄物で汚濁している
常に震動して揺れている、波立って逆巻く水流が出来ている
そこを泳いでいるのだ我々は翻弄されながらみすぼらしくあっぷあっぷと
天地創造や終末論とは一切関係なく、
この間断ない負荷で神経をやられるのだ
意識下で飼い慣らされた筈のストレスは、身体器官に蓄積される
胃壁が穿たれ、また食道が卒然と裂けるのは、鬱の発症と同義だ
ノアの箱舟など本気で信じていたのはロナルド・レーガンぐらいだろう
謁見と異端審問にかかりきりの教皇でさえ船舶の発注には至らぬものを
ましてビリー・グラハムどもはマネーロンダリングに忙しい
ならば他の大富豪達は
サンタモニカのデッキチェアやサンモリッツのシャレーで我が世の春か
と言えば、やはり事業計画の推進にアタマを激しく使っているのだ
あの先の透明を
色彩と形質で埋め尽くさぬ内は延々、安穏でないわけで

一体何だ、これは。と思う
これが構築というものなのか
これが我々の世界であり続けるのか、と思う
神の国だの核弾頭、地球温暖化や目下の尖閣諸島とは一切関係なく
何というザマだ、と思う                 


自由詩 人 間の国 Copyright salco 2011-02-17 01:11:35
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