ずれてます
salco

60年代、私は赤ん坊だった ハレ、ハレ、クリシュナ
インドについて考え始める前にはガンジー女史が
長期政権の玉座に鎮座ましましていた 
3段腹の俗人ガンジー 
憧れのマハトマではなく
60年代、私は幼な児だった クリシュナ、ハレ、ハレ
「時代は変わる」を引っ提げボブ・ディランが
ハーモニカを吹き鳴らしていた頃
USテディ・ボーイズが夢精から目覚め出した頃
私は毛布を手放せなかった

70年代、ビートルズを初めて論評したのは
小学校のブランコの上
隣で漕ぐ友達に鼻高々でうんちくを垂れた
「ビートルズってねぇ、ヒッピーなんだよ?」
だがとうに全ては終わっていたのだ
色とりどりの萎んだ風船、コンドームの散乱
フラワー・チルドレンは皆
ダークスーツのビジネスマンになっていた
73年、父の横でテレビを見ていた
アメリカ大使館のヘリコプター版「蜘蛛の糸」
サイゴンが陥落すると急に世界は静まり
覚醒の理由を失い眠りこけるようだった
それから思春期に
遅刻癖の私が出会ったのは過ぎ去ったトランスばかり
見るべき人は皆ドラッグのやり過ぎで後の祭り
安っぽい愛を吐き散らすポップ・スターばかり

80年は喜劇で明け、悲劇で暮れた
1月、成田税関発のPM沙汰に世界中が笑いこけ
12月8日11Pm銃声が全世界を叩き落とした
時代の一歩前を行く背中を奪われて
そう、確かに時代の、世界のそれは終焉だった
 ドリームイズオーヴァー、ワッキャナイセイ?
その意味が、初めてわかった
80年代、だがやはり幸福だった
5頭身で大根足を晒すミニスカートの恥知らず達を
譲れぬ美意識から蔑んでいた小学生時代と同じように
クリスチャンになり身辺整理に明け暮れるボブ・ディランを
嗤えるほどに若かった
自分の世代は、次に塩の行進をするのだと自負していた
何を嗤おうと、その責任だけは果たさねばいけない
そんな風に思っていた

何も、何も起こりはしなかった
全てはとうに終わっていたのだ
日本車やテレビを壊す人々の憤懣を
東西ベルリンの壁を壊す人々の歓喜を
居間でぼんやり観るだけだった
そう、傍観に惰眠
何処にも赴かず漫然と見る
否、眺めるだけ
知りもせずに知った気になっただけ
あるだけの熱情と落胆は専ら夢想無能と情交に潰え
たまさかの熱狂と失望はカール・ハインツ・ルムメニゲその他と
情交相手と生活に潰え
90年からこっち何もない 
なーんにもない
イラクにもアフガニスタンにも赴かず
立ちはだかりも突き倒されもせず
拉致されず殺されもせず
震災後の神戸にすら行かず
何もしていない
なーんにもしていない


Dream is over, What can I say? … GOD John Lennon



自由詩   ずれてます Copyright salco 2010-12-11 21:45:44
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