鳩のこと
はるな


鳩を飼っている家がある。近所だ。なんというのだろう、名前はわからないけれど、鳥小屋をもっともっと大きくした屋舎に、何十匹も。朝がたと夕暮れ、鳩たちは放たれて舞う。ほとんどの鳩の身体は真っ白なので、晴れてあざやかな日差しの日には、それは見事。きれいに夕暮れる日にも。雨の日には飛ばなかった。鳩たちを、ずい分まえからそうやって目にする。まだなにもしらない、脚だって苗のように未熟だった頃から。そのあいだに、なん匹の鳩が死んだろう。

むかし、よく賭けをしながら歩いた。たあいのないことだ。
信号が点滅するまえに渡りきれたら今日はいい日、目をつむってあの角に手をつけたらあしたすきなことをしてもいい、帰りみち白線を踏み外さなかったら明日はノーと言える。
いちばんよくしたのは、信号だ。点滅する前にわたりきれなければ、死ななければならない。
そうしてたびたび「死ななければならなか」った。そのたび死んだ。死んだら、赤と青が交互に点るのを二回みなければならず、次にその信号をわたるときには息をとめなければならない。ルールだった。
思えばたくさんのルールがあった。わたしがわたしを律すること、罰することはわたしにとってとても重要なことだったから。
だれもが、どんなやり方であるにせよ、自分で自分を保っている。
わたしの場合は、賭けと、ルールだった。でもたぶん、わたしは自分を罰したかったのだ。何に対しての罰かはわかっていた。それだけはいつも。


鳩たちもよく賭けにつかわれた。夕方、鳩が舞う時間はちょうど帰るころだったから。
あの電柱までに、一匹でも折りかえして来なかったら今日は死のう。目を閉じて開けるまでに、あの茶と白まだらのやつがこちらに向かっていなければいなくなろう。

いつでも、鳩はきちんと折りかえしてきた。白も、まだらも。一匹のこらず。鳩はちっとも乱れずに飛んだ。いつでも。青空でも。曇りでも。風がすこしあっても。暑くても、寒くても。雨の日以外には。


けさ、久しぶりに鳩をみた。相変わらずの隊列、反射する白。
わたしはもう、ほとんど賭けをしない。賭けをしなくても、律したり、罰したりできるからだ。物事のやり方を、数年前よりは心得ているから。横断歩道の真ん中で、立ち止まったまま死ななくてもよくなったのだ。
でもごくたまに、ごくごくたまには、賭けもする。信号よりも、鳩よりももっと予想しがたいやつ。コイントスのような。わたしは以前より物事を信じるようになったのかもしれないし、疑い深くなったのかもしれない。あるいは全然かわっていないのかも。
鳩はすこし数が減ったようにみえた。まだらは増えていた。だから、鳩たちの群れは、まだらがうろこのようにちらちらして、大きな魚みたいに見えた。空のスイミー。雨の日には泳げない魚。




散文(批評随筆小説等) 鳩のこと Copyright はるな 2010-10-23 15:14:01
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